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子の未来のためにできること

昨年5月に息子が生まれて、それ以来、毎日のように泣いている。なんでって、子が暴力的だから。もちろん腕力のことじゃなくて、かわいさが暴力的。キュンの瞬間風速があまりにも凄まじく、ガツーンとした衝撃が毎分、私に襲いかかって、痛い。うぐっ、かわいい……、なんで、なんでこんなにかわいいのかよ……っと、孫でもないのに口ずさんでしまい、そのワンフレーズがあまりに頻繁によぎるものだから、もはや脳内は『孫』の輪唱状態で、やかましい。

ワセリンでテカテカのおでこ。桃のような産毛。撫で付けられて9:1になった前髪。よだれの川。もちもちの指。欠けたお米みたいな2本の歯。「あきゃーい!」「まんまんまん!」「ちゃいちゃーい!」の声。ちっちゃな鼻の穴から吐き出される「ぷすぅ〜」っという寝息。そういう奇跡のようなかわいさがぎゅっと詰まった体で見つめられると、大変なことは山ほどあるはずなのに、なにもかもどうでもよくなってしまう。本当に、子は、すごいのだ。


時間が空けば、だいたい彼の未来をあれこれ想像して過ごしている。この子がいつか話したり考えたりするなんて、信じられない。そのうち「ママ!」って言いながら駆け寄ってくるようになる?ダンゴムシを捕まえてポケットで育てる?「え〜魚ぁ?肉がよかったぁ」とか言う?誰かを好きになる?ま……まさかヒゲが……生える!?「クソババア」とか言う?何を聞いても「うん」しか答えず、「学校どうだった?」「うん」「部活は?」「うん」って「うんマシーン」と化す?ママとは喋らなくなる?……ちょっと待って、だめだ、寂しい、寂しすぎる。そう友人にこぼすと「男の子なんて、そんなもんだよ」と一蹴されて、眉がハの字になった。息子も、そんな風になるのだろうか。いや、もしかしたら令和に生きる子たちは「うんマシーン」になったり、親の前で無口になったりしないのでは? そんな一筋の希望を持って、普段は見ないTikTokで高校生男子を覗いてみると、まあ、なんていうことでしょう。#こう見えて母親 の文字とともに、ママと軽快に踊っている動画を上げているではないか!ほらね!な〜にが喋らないだ、むしろにこやかに踊っとるがな、これだよこれ!よし、ママ、今からダンス教室通っとくね!って、ハの字はV字に回復を遂げ、早速教室を検索していると、横から夫が口を挟んで「あのね、たしかに今はいろんな子がいるけど、俺の遺伝子を継いだ子なんだから、ママと一緒に踊る高校生になると期待しないほうがいいよ」なんて言うもんだから、再びハの字へ逆戻り。夜、マシュマロほっぺがヒゲでジョリと音を立てる日のことを想像して切なくてすすり泣いて、心を落ち着かせるために息子の頰を食べた。いつか「小さい頃、頰を食べられた気がする」と言ってきたら「それは妖怪の仕業だ」とごまかそう。


と、まあ、あれやこれやと想像に想像を重ねても、本当のことはわかりっこない彼の未来。いくら排泄物を汚いと思わないくらいに愛していても、お腹に宿った瞬間から彼の人生は彼のものでしかなくて、私たち親が介入できる余地なんて、ほとんどないのだ(ポケットでダンゴムシを育てたいという気持ちも止められない。諦めよう)。


それでも、未来がどうか素晴らしいものであるようにと願うことはやめられない。テクノロジーには疎すぎて、世の中がどう変化していくのかは想像もつかないけれど、でも、どうか、ハナミズキの横で犬達が誇らしげにお尻を振りながら散歩するようなこの街並みが変わらず彼の前に広がって、垣根のツツジの蜜は甘く、デパートでは「屋根より高い鯉のぼり」が無限に流れているような、平凡で美しい世界は変わらずに続いて欲しい。


そのなかで、彼には、我慢をしないで生きてもらいたい。


誰かに惑わされず、慣習や役割や性別に縛られず、人目に負けず、好きなことを好きと言って、好きな人を好きと言って、傷ついたらきちんと悲しみ、怒るべき時に怒って、疲れたら少し休んで、夢を見て、夢を追い、心伸びやかにたっぷり息を吸う。「我慢は美徳」なんていう考え方はいにしえに捨て去って、目一杯、自分を楽しんでほしい。我慢をしないことと、人に迷惑をかけないこと、それらは両立するから心配しなくても大丈夫。いつまでも「ほしい」「したい」「やりたい」を大事にして。だってきみの可能性は、無限大だもの。赤ちゃんの今とおんなじで、17年後だって変わらず、無限大だよ。


そう言ってみても、もしかしたら「もう17歳だから」とか「可能性は無限なんて嘘だ」とか、物知り顔で言うようになっているかも。そんなときのために、まず、私が私の人生を楽しまなければ。いつまでも夢を見て、可能性を開き続け、自分を好きでいなければ。

我慢をしない。それが、育っていく息子の未来のために私ができる、わずかな、けれど確かなことじゃないだろうか。愛すべき未来に到達できるよう、今を丁寧に楽しんで、積み重ねる。だって未来は、今の先にあるものだから。


子の未来が明るいものであるようにと、真剣に願えば願うほど、母である私も輝いていく。子は、やっぱり、すごい。そこにいてくれるだけで、すごい。

幸いなことにまだ頰にヒゲが生えるまでは時間がある。それまで、今をたっぷり味わうのが私の役目。夜中に現れる妖怪、頰食べ女のことも、ひとつ許してやってね。


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この記事は、本日5/5こどもの日の朝日新聞「未来空想新聞」に寄稿した全文を転載しております。


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