繋ぎ止めるものとは
お待たしぇ。
あっという間に毎日が過ぎ去って、といつも書いている気がします。笑
昨日もすごくいい1日だった。
お仕事終わりに現代美術館へ走り、本の装丁ワークショップに参加した。
バラバラの紙が、先生の言うとおりに手を動かすうちに1つの塊になって、それは「本」と呼べる物になっていった。私の両手の中で、なにかが作られる、という時間は、すごく豊か。その時間は、花にとっての水のような、私にとっての栄養になった。
自分で作った本を携えて、次はダニーさんの講演会へ。
ダニーさんについては、以前、本を読んで感想を書いています。
パレスチナについて書いたnoteがいくつかあるので、私はいつもパレスチナについて考えているみたい。確かに、いつも、「じゃあ、どうしたらいいのか?」とか、「私もずっとジェノサイドを黙認してきた加害者なんだ」とか、「もしかしたら、今もまた他の誰かの犠牲の上に生きているのかも、いや、きっと、そう。」などなど考えている。
けれど、思いを携えながらも、ふと忘れて、好きな人とダンジョン飯を見ながら夜ご飯食べて、ゲラゲラ笑う時間がある。
友だちに会いに行っていつものくだりで笑わせる時間がある。
バラバラな毎日は、手作りした本の1枚、1枚のページのよう。
穴を開けて糸を通して辛うじて繋ぎ止められる1冊の本。
あっけなく過ぎていく私の日々も、穴が空いては何かが、誰かが、繋ぎ止めて、私の物語は守られる。
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