気が散ること多くなってきたから日記書くわ ここタイトルや 08/20です
書きます
反省をする人っていうのが世界にはいて、そういう人はかなり反省してます。 見えていないだけですぐに反省するし、改善するし、解決に向かっている。 そういう人がいます。 PDCAを回すことに躊躇いがなく、登った階段を降りることがない人がいます
そういう人を表す言葉って既存のものはどれも微妙な気がする。「ウェット」と対比した時の「ドライ」とかはそうだったかもしれないけど、それは今は「サバサバ」と混ざってしまっている気がするよ〜〜〜〜! ! ! ! !
幽谷霧子さんって結構これに該当する気がする 努力を惜しまない、ではなく努力が普通であって、それ以外の生き方がまだ馴染んでいない人。
「こうやったらうまくないのか」「何回か実験してみよう」「原因はこの辺りっぽい」「じゃあ対策ってこの辺じゃないですかね」「ひととおりやってみましょう」がごくスムーズに……形容詞としての「ビジネスマン」がピッタシくるかもしれない。 スーパーマンが「超人的」として使われるようにビジネスマンは……
私はかなりそうじゃないほうだ
私とそういう人たちの間では「悩む」ということの意味が、根本からとは言わないまでも大きく異なっていそうだ。 憶測で言うが、悩みとは彼らにとってイベントであり、一大事であり、局面であるのだろう。
その時の悩みとは、価値評価の軸や空間が変化しかねないことである。 積分の解き方がわからないとか、うまく言葉を伝えられないとかそういう種類のものではない。 手段をよりよく達成するための悩みではなく、目的を決定するための悩み
私は常に目的の側が不安定で、選択を保留していて、悩んだ挙句に「この辺やっとけばまあ大きく違わないんじゃないか」という一見低リスクな生き方でその場をしのいでいる
問題を素手で鷲掴みにして、泥くさく分解して、各々をボコしていくようなわんぱくな生を渡っていないのだ
何かに乗ることに乗れない ことには乗れた?
この手の「ウニョウニョ俯瞰くん」と「シャキシャキ行動さん」の対立? の話ずっとしておるな そして歴史的文化的にも何度かあったことだろうと思う。
俯瞰くんは階を重ねていくとどこまでも越え出て乗ってこないが、じきに乗らないということに乗らず、気まぐれに乗ったふりをしているし、なんならごく普通の人を生きていて、乗る乗らないの闘争が心中であったことをおくびにも出さないような精妙な生き方をしている。
シャキシャキ行動さんは時おり悩むが、その悩みでさえ一元化された目的のための手段においての「詰まり」でしかなかったりする。 目的がひっくり返るような、俯瞰くんの悩みをどこまでもしないことが可能だ。
「中途半端」はここでは明確に悪いことになる。
中途半端の悪さというのは、おそらくみんな持っていてそれゆえにかあまり取り沙汰されることがないが、変な形でかなり悪く、どうしようもなさが独特だ
曖昧なまま散逸したのでまとめていきたいぞ
目的が一元的で頑健性のある人と、不定的で頑健性のない人がいる。 私は後者である。 両者とも、極端な場合にはそれぞれにおいてのメリットが極大化され、現行の社会システムにうまく組み込む(組み込まれる)ことができる。 しかし、おそらく多くの人がここでの軸においては半端であるのではないか。 そうであれば、「どちらかでありたい」という形で、多数の人が苦しみやすい現代的な悩みがそれぞれの前に立ち現れているのではないかと思う。
ほんでまあ、解決ですか? それは解決しなくてはいけないのだろうか?(発作が)
いい場所が見つかったらいいね〜としか言えないんじゃないかしら そしてそれはかなり運だ 運だからと言って自分でどうこうできない部分がないわけでもない
「ほとんど運だからといって、能力でなんとかできないわけでもない」ことが問題になることは、これまでなかったことなのかもしれない。 運は運で、どうしようもないと割り切れてきたようなことが、知識の蓄積によって「運じゃないかも」と割り切れなくなってきた。
雨乞いのために火を焚いて、本当に雨が降ってしまってからこの病気が始まった
日記は!? 統計の足取りが落ちています。 時間と質問を重ねるしかない地道なターンゆえに
色々そのままにしちゃっています