エブエブ観たあと脳で起きてたこと

最初の議論

あいあいあいあいあいあい

あーい

やるぞっ

テンポでやろうテンポで

しゃいしゃい

いかにして生きるべきであるかという問い!!

はいはいはいはい

はいはい!

そこのお前!

はい! いかにして、ということは、複数の中からひとつは選ぶことができるという前提があります!

以上か?

以上です!

そうだなあ! 未来を複数分岐した枝のように捉えて、その中の一つが、一つのみが選ばれるような世界観が前提だよなあ!

そして未来が自分でどうにかできる種類のものであったり、自分でどうにかできない種類のものであったりするわよね

ボールを投げるとかは、自分でなんとかできるから、なんとかできることが許されているから、投げる未来を選ぶことができるような、そんな気がするわ

ああ、与えられたカードで最善を尽くすとか言う時は、こういうことだろう

いろんな人にいろんな権利を与えようとする運動が一時期さかんだったわよね

カードを増やそうという目論見だね

話がそれちゃいないか!

驚くべきポイントはあるだろうか?

はい!

何はともあれ“ひとつは与えられている”という奇天烈な事実があるかと思います!

“一つしか与えられていない!”ではないか?

いやしかし、人生が二つ与えられているとはどういうことかわからんではないか?

2人分の人生が与えられているとはどういうことだ?

いやいや、話がそれすぎているんじゃないか、当初は「いかにして生きるべきか」だったろう、だから、存在論的な議論は一旦おいておくべきだよ、さっき言ったような世界観のもとで、何か一つを選ぶさいの指針みたいなのを考えるべきじゃないのかな

そんなのはでも経済的な問題じゃないかな? ポスト、あるいはリソースがあって、そう生きるだけの能力があって、はじめて問題になるというか……

今回はポストもリソースもそこそこあって、能力もそこそこある想定?

ポストとかリソースとかってなんだよ? 能力ってなに!?

だから……複数の生き方の中からひとつは選ばなきゃいけないでしょう? そんで、その複数の生き方の「複数」の部分を可能にさせているのがポストやリソースだよ、生き方がひととおりしか用意されてないような時期が歴史にはあったわけじゃん? いまも……

じゃあ能力は「選ぶ」の部分を可能にさせているもの?

「生き方」の「生きる」の部分じゃないか? アスリートとかは顕著じゃん、環境とか才能ってやつだよ

環境とかはポストやリソースの分類じゃない? グラデーションなの?

能力によってポストの部分を押し広げることが可能ってことじゃないか?

そういうのは整理されてしかるべき概念をごちゃごちゃにして台無しにしているような気がするよ。 もっとうまい分類があるんじゃないのかな

環境にしろ権利にしろ能力にしろ、やっぱり世界内で陥りやすい方に陥っていくだけじゃないかな。 あっちに行くよりこっちがいいって、そうやって勾配をただくだっていくだけで、最適化の問題でしかないような気がするなあ

物理的な世界があって、そこから色々人間たちが作って付け加えて、それぞれに傾向性があって、収まるところに収まるってだけ?

うーん どこか決定論的じゃないかな?

決定論? あらかじめ何が起こるかすべては決まってるっていう、あれ?

決定論っていうか……

う〜ん

物理的世界像を徹底して認めると、なるようになるとしか言えないような……

それは自由意志の否定ってこと?

いや……自由意志なんてものは権利の問題であって、事実とは関係がないと思うよ

つまり自由意志があるかないかなんてのは人間たちが決めることだってこと?

そう思う…… いかにして生きるべきかって問題って、権利の問題か事実の問題かわからないところがないかな?

そりゃあ権利の問題じゃない? 強いて当てはめるならそうってだけで、あまりうまい適用だとは思えないけれど。

いかにして生きるべきかというのは人生訓のようなものによって答えが与えられるのかな? そしたら、人生訓はなんで可能なのか、とか、よい人生訓はあり得るのか、とかの問いのほうがいいんじゃない?

よい人生訓わるい人生訓っていうのは全く可能だと思うわ。 たったひとりの人間にしか当てはまらないようなことを、たくさんの人のために使えば、わるいと言えるわよ

人生訓を使う? 

人生訓ってつまるところは…… この話続けたほうがいいの?

いや、怪しさに怪しさを積み重ねているような気がするな

そろそろ最初に戻って精査していこうよ

精査

まず「いかにして生きるべきか」という問いを可能にしている世界解釈の話から始めているようですね

これは重要な視点だと思うよ でもちょっと手前に行きすぎというか……

存在論とかをやりたいわけじゃないから、戻りすぎ?

別に存在論が関係するかはまだわからないんだから、臆病になるのは良くないよ

でも、結局はそっちに行く気がするけど……

次に「それは経済的な問い」だという指摘が入ったね

複数の選択肢があって、なんらかの評価関数によって最善手を選ぶ(選ばれる)わけだから、ただただ効率性のおもむくままに決定されるってだけだって言いたいんだよね

「なるようになる」って言われてるよね これはなんというか、怖いな

優しい感じはしないよね あんまりにも法則性というものを信じているというか……

物理的な問題でしかないよ、って言い切るのはどこか少し間が抜けているような、短慮であるような、面白くないような気がするから避けてるだけで、実はそれで終わりとも言えるんじゃない? 初発の問いの世界観がどうであっても、文面が「いかにして生きるべきか」なら“べき”の部分がちょっと気になるけど、でもほっとんどすべてが物理的な都合によって決まると思うな

「べき」には複数の生き方が可能なのだけれど、一つを優先させる力があるよね

でも、なるようになるって言い方は、そもそも複数の生き方からどれか選ぶなんて認めないような立場だよね

うん…… 複数の生き方っていう解釈そのものは可能なのだけれど、それはスケールの問題であって、より深く存在論的に考えるとだんだん人間の手を離れて解釈に無理が出てくる……

やっぱり効率性の問題?

効率性で解けるような範囲と、そもそも複数の選択肢がない範囲というのが連続的になって接続してるってわけ?

そこで話されていることはそうなんじゃない

明日のご飯とかは自由に決められるし、気にする栄養とか、費用とかによって最適解がもとまるけど、もっと大きなところになるとそういった自由は失われるってわけよね

生まれてくること自体、全然自由じゃないからね

その限界を見極めることはできるんじゃない? それこそが人生訓じゃないかな。 人生訓には、実はここのところまでは明日の献立のように決められるんですよって気づきを与える力が備わっていると思うな

もっとシンプルに元気づけるやつもあるよね

うん、なんというか人生訓が必要な人って、生まれてくることとかの、人生のどうしようもない部分にぶつかって茫然自失の人向けの言葉っていうかさ、そういう人に「なんとかできる部分はあるよ」「明日の献立は決められるよ」って根気強く教える役割があるんじゃないかな

献立が決められないような世界に生きてる人にはどう響くのかな?

手近な自由がない人はそもそもその種類の自由がどういうものかわからないよね、世界はメチャクチャで、ずっとそうで……

おわり


んー このくらいかな

そうだねえ エブエブ観たからこんな話になったんだわね

タイトル変えときましょうか

どうでしょうかね

タグつけたら怒られるかな

そしたら謝りましょうよ

しかし、乱文だなあ

言葉の使い方もよくないですね

最初勢いに任せすぎましたねえ

最初の問題……「いかにして生きるべきか」を「どうしようもない」と「どうにかできる」の問題としたのよね

うん、悩んでもどうしようもない部分があって、でもどうにかできる部分もある……

どっち方向でも悲劇的よね

どっち方向でも?

「どうにかできる」に気づかない人と気づく人

気づくのはいいことでしょ、ああ、あとで「どうにかできない」にも気づいてしまうってことか

そう、最初から「どうにかできる」がその人の中になければ「どうにもできない」には気づきようがないと思う……

じゃあ人生訓を語る人は天使というより悪魔?

どうだろう?


色々そのままにしちゃっています