何でも屋さんでいいじゃないの(改稿)
私は2010年あたりからハリケーンでいうとカトリーナ級の大型スランプに見舞われ、実に数年、小説がまったく書けなくなった時期がありました。
その頃、時期を同じくして自動車事故詐欺に遭ったり、ネットストーカーに悩まされたりしてまさに「泣きっ面に蜂」状態でした。
もともと、私はそんなにメンタルが強くない人間です。
SNSでは「毎日楽しそうですね」と言われることが多いですが、私の場合、更新頻度が高い時の方が意外とまいっていることが多いです。
日々のいろいろを綴ることで、自分を鼓舞しているのだと思います。
それが小説を書き始めると、SNS更新がピタッと止まります。
それでは、小説を書いているときはノリノリなのかというと、実はそれも違いまして。
むしろ、書くことで自分の中から余計なものがゾロゾロ出てきて「しにたい...」となることのほうが多いです。
朝7時に起き、午前中いっぱい粘っても1ページも書けない時もあり。
うまく書けた、と思った文を翌日、
「ダメだこりゃ」と全部捨てちゃったり。
そんなことはしょっちゅうです。
それでもこつこつ書いていくと次第にページ数がたまっていき、ある日とうとう明烏が鳴く頃、句読点のあとに「終」と書く日がやってきます。
よく、
「ゾウを丸ごと食べるにはどうしたらいいか」
というなぞなぞがありますが、あれは本当に的を射ていて、正解はあれの通り、
「一口ずつ根気よく食べていく」です。
同じく、
「キリンを冷蔵庫に入れるにはどうすればいいか」
というのがありますが。(これの答えはこのコラムの最後に書きます)
小説のことに話を戻しますと。
スランプに詐欺にネットストーカー、と不運のバリューセットのような状態に陥った私は、これではたまらん、と生きていくために作家のエージェントに入りました。
そしてそこで、ゲームシナリオやライターなどのお仕事をぽつぽついただくようになったのです。
そのことをきっかけに、小説のほうも再び少しずつ書けるようになり、その時は本当に嬉しくて嬉しくてたまらなかったです。
週刊新潮の『黒い報告書』のお仕事をいただいた時も、あれは子供の頃から親の目を盗むようにむさぼり読んでいたので「お約束」は全部頭の中に入っており、
たった2日で書きあげたそれがさしたる直しもなく、全国のおじさま方に「面白かったよ」と言っていただいた時も大変嬉しかったです。
正直、ゲームシナリオや依頼小説のほうが自分の小説よりお金にはなりました。
特に乙女ゲームのシナリオは、妄想脳の私が自分がされたいことをそのまま書いていけばいいのだから楽勝です。
そしてその間、生来の「いちびり」(関西の言葉で『前にでたがる人』の意)が高じ、舞台や映画にも少しずつ出させてもらうようになりました。
そんな私を、
「そのままだと何屋さんだかわからなくなりますよ」と責めた編集者さんがいました。
当時、私の2作目の小説「わたしをさがして」を読み、「次はうちから出させて欲しい」と言ってきてくれた人でした。
もちろん、最初は頑張りました。
デビュー作「エンドレス・ワールド」こそ多少はメディアにも取り上げていただき、それなりの評価もいただけましたが、2作目は出来に自信があったにもかかわらず重版がかからなかったので、
「今度こそ当てなければ」
という強迫観念に押し潰されてしまったのです。
その結果、私は長いスランプに陥ることになりました。
そんな状態を自分でもどうにかしなければと思い、そこで飛び込んだのがゲームシナリオやアクション映画の脚本でした。
ただ、生粋の文芸畑だったその担当さんにとって私のそれは「小説を書くことからの逃げ」にしか見えなかったらしく、
正直、
「そのままだと何屋さんだかわからなくなりますよ」
と言われた時には大変ショックでした。
彼女の言い分は、作家は小説だけ書いていればいい、これからは「それしかできない」というプロだけが生き残る時代だ、でした。
今の状況を見れば彼女のその時の言葉がいかに的外れだったかがわかるのですが、
(彼女は学生時代のアルバイトからそのまま出版業界に入り、他の仕事を何一つ知らない人でした)
その時の私は立場も弱く、「そうなのか」とただ落ち込んでしまったのです。
けれど、編集しか知らなかった彼女は結局その後心を壊し、閑職に追い込まれて会社を辞めざるを得なくなりました。
会社員時代にフリーで食べていくだけの人脈を作っておかなかった彼女は、郷里の実家へ帰るより選択肢がなく、その前に私にメールをよこしました。
「また戻ってきたら佐伯さんと仕事をさせてください」
そのメールを読んだ私は過去の自分を責めました。
どうして私はあの時、この人の意見を「ふざけるな」と一蹴できなかったんだろうかと。
そして思いました。
何でも屋さんでもいいじゃないの。
初めてそう思えたんです。
つまらないプライドで文学以外の仕事を自分に禁じ、才能あるのに沈んでいった作家さんを山のように見てきました。
中には業界最高峰の文学賞をとりながらも、その後うまく作家活動を軌道に乗せることができず、アルコールと薬物で緩慢な自殺に追い込まれていった人も知っています。
みんな、私がなかなかデビューできずに土の中で足掻いていた頃、空の上でキラ星のように燦然と光り輝いていた人たちでした。
仕事を選ばなかった私は賞には縁がなかったけれど、その代わり、いろんなジャンルの仕事ができるようになりました。
筆力をつけるためにはエロもアクションも選り好みせず書き、その結果、文章でどうにかして食べていくくらいの自信はついたのです。
けれども、やっぱりいろいろやってみてつくづく思い知ったことは、私はやっぱり小説を書いている時の自分が一番好きだということでした。
逍遥(しょうよう)する、という古い言葉がありますが、文章を蚕みたいに吐き出している時は文字通り心が「逍遥」しています。
いただき仕事でなく、出版のあてもなく、いつ誰が読んでくれるかもわからないお話を今も私は書き続けているのですが、
それが誰かのさしがねでなく、心底自分の書きたいものであるとき、私はまるで長い旅をしているような気分になります。
そんな私はきっと老後の不安とは無縁です。
なぜなら、たとえお金がなくても、これさえやっていられれば幸せに生きられるのですから。
売れっ子作家でもないくせになにを偉そうに、と言われればそれまでですが、木っ端作家でもひとつのことを長年こつこつ続けてきた者にはそれなりの矜持があります。
頭の中にあるあれもこれも取り出して目の前に並べたい、そしてそれをできるならばいろんな人に読んで欲しい、そういう欲求は歳をとって衰えるどころか、ますます強くなっていくばかりです。
自分でも不思議ですが、本当にそうなんです。
私が生涯追い続けてきたものに色をつけて整え、これなんですよと示したい。
それが子供の頃からの願いです。
たぶん死ぬまで変わりません。
そして私は最近、思うのです。
たとえどんな職業についていても、これは生きている人みなに共通しているのではないかと。
自由業でもサラリーマンでも、農家の人でもIT長者さんでも、「つくる」「調べる」「没頭する」「食べる」「人とかかわる」楽しみを知っている人は、お金や地位や名誉や結婚や子供がいなくても楽しく生きられるんじゃないかと。
だから私は、担当さんだった編集者の彼女がまた戻ってきたら仕事しようと思ってます。
人間には段階があります。
私だって、過去失礼をしてしまった人と再会したら許して欲しいと思いますから。
あ、最後になりますが「キリンを冷蔵庫に入れるにはどうしたらいいか」のなぞなぞの答えは、
1.冷蔵庫のドアを開ける
2.キリンを入れる
3.冷蔵庫のドアを閉める
です。
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