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オメは学校通ってんのにナンにも知らねえんだな

小学校の頃、私が住んでいた街のはずれに「畑の兄ちゃん」と呼ばれている風変わりな人がいました。
どのへんが風変わりかというと、この人は完全自給自足生活をしている、いわゆる「現代のロビンソン・クルーソー」だったのです。

「畑の兄ちゃん」の家は私の住む住宅街を見下ろす高台に建っていました。家自体は普通の平屋でしたが、兄ちゃんによる数々のカスタマイズで要塞のようになっていました。そしてその周りは文字通り、ぐるりと広い畑で囲まれていたのです。

兄ちゃんはその畑で野菜はもちろん、田んぼを耕し米をつくり、いけすで鯉やフナや金魚を育て、卵をとるためにニワトリやアヒルを飼い、大きな虫小屋を作ってカブトムシやクワガタを飼育し、森で切り倒してきた木でシイタケやシメジを菌床栽培し、電気は自作のソーラーパネルによる太陽光自家発電、風呂は庭にあるドラム缶で薪を使って沸かすという、徹底した自給自足ぶりでした。

世界にはときどきアインシュタインとかレオナルド・ダ=ヴィンチとかニコラ・テスラとか平賀源内とか、そういった突拍子もない天才が現れるものですが、この畑の兄ちゃんもまた、間違いなくその系譜につらなる「市井の天才」のひとりでした。

友達のいない私はもちろん、学校から帰ってすぐこの畑の兄ちゃんのところへ日参していました。
当時から年齢不詳だったこの兄ちゃんは、北関東訛りの言葉を話し、私のことを「オメ」と呼び、最終学歴が中学校なのに、難しい物理や科学のいろんなことに独学で通じていて、なにかあるごとにその知識を私に披露してくれました。
私が大人になってからも「街のはずれの変なおじさん」をみるとすぐついていってしまうのはこの畑の兄ちゃんが原因です。

たとえばこの畑の兄ちゃん、自分の敷地に25メートルのプールを自分でつくってしまうのです。それもふたつ。プールってつくるの大変なんです、よほど上手にやらないと水が漏れてしまうから。
それをこの素人の兄ちゃんは、コンクリートとペンキを駆使してなんなくこしらえてしまうのでした。

そしてひとつのプールから別のプールへ、なんの動力源もないゴムホース一本で水の移し替えを行います。なんでええ? と私が驚いて訊ねると、畑の兄ちゃんは得意げに北関東の言葉で言いました。

「そらオメ、最初に水道の蛇口から水が出てる別のホースくっつけて水の流れを作るんだべ。そしたらあとは自動的にプールの水ががからになるまで抜けるんだべ」

私が唖然としていると、兄ちゃんは勝ち誇ったように言いました。

「なんだオメ、学校通ってんのにそんなことも知らねーのか?」
「しらない」
「学費の無駄遣いだべ」
「学校はそんな役に立つことなんか教えてくれないよ」

兄ちゃんは収穫した米や野菜やキノコをときおり街に売りに降りてきます。
無農薬なのでけっこう人気があったのですが、ある時、兄ちゃんが私に言いました。

「オレ、オメの父ちゃん嫌れーだ」

なんでも私の家に野菜を売りに来た時にたまたま父が対応に出て、それがかなり失礼なものだったというのです。

父には東京者の嫌なところがあり、兄ちゃんのことを「百姓」と呼んであからさまに見下していました。

私はこれが嫌でした。人としてのサバイバルスキルは兄ちゃんの方がよほど高いのに、それが見えない父は間違っていると子供心に思っていました。

「ごめんなさい」
私が謝ると、
「いいよ、オメ関係ねー」

でもそれ以来、兄ちゃんは私の家には野菜を売りに来なくなってしまいました。

兄ちゃんは免許がないのに軽トラでどこへでも行きます。

「おいオメ、蛍とりに行くべ」

無免許運転の兄ちゃんの軽トラに乗り、私は蛍をとりに向かいます。
兄ちゃんは真っ暗な田んぼのあぜ道の真ん中に車を止め、私を先に降ろすと自分は運転席に乗ったまま言いました。

「見てろや」

兄ちゃんは車のライトをパッ、パッ、と断続的に点滅させます。
するとどうでしょう、広い田んぼのあちこちから、まるで流星群みたいに無数の蛍が一斉にこちらに飛んでくるのです。

「ナワバリ争いなんだべや、蛍バカだから喧嘩売りに来てんだ」

私は夢中で蛍を捕まえ(蛍バカだから素手で捕まります)、ビニール袋に入れました。夢を見ているようでした。うちに帰って庭に放すと、蛍は庭のあちこちで2、3日は夜になるとチカチカ光ってました。

兄ちゃんはしばらく自分のプールを街の子供達に開放していましたが、ある時、小うるさい教育委員会のおばさんに何か言われたのに腹を立て、プールをふたつとも1時間100円の釣り堀に変えてしまいました。

私は悲しむどころか喜びました。今度は釣りができるからです。

釣り糸を垂れてプールの池でクチボソやザリガニを釣っていると、いきなり水面から小さな魚がピシャリピシャリとはねだします。

「雨が降るんだで。オメ、早く家さ帰った方がえーぞ」

すると本当に数分後、雨が降ってくるのです。

別の日、ジリジリと陽に焼けるのも構わず私が魚釣りに没頭していると、後ろから兄ちゃんの声がします。

「スイカあるぞ、食えー」

もちろん自作のスイカです。
他にもトウモロコシにサツマイモ、栗を焼いてもらったこともあります。風呂の焚き付けに使う薪割りを手伝ったこともあります。

そのうち私は中学生になりましたが、相変わらず畑の兄ちゃんのところへはまめに通っていました。
ところがある日、うなぎの夜釣りに誘われて行こうとしたら、母親に止められました。

「下心があったらどうするの?」

結論からいうと兄ちゃんはまったくそんな人ではなかったのですが、私はその日、初めて兄ちゃんの夜釣りの誘いを断りました。

そしてそれ以来、私はなんだか気まずくなり、畑の兄ちゃんのところへあまり足を向けなくなってしまったのです。

それからまもなく私は父親の転勤で大阪へ引っ越すことになり、そのまま大学を出て就職し、長い月日が経ちました。
その後いろんなことがあり、すったもんだの末に結婚して作家になり、何冊か本を出し、映画の脚本なども書くようになり、最後に畑の兄ちゃんのところへ行ったのは数年前、じつに数十年ぶりのことでした。

「なんだオメ、久しぶりだな」

畑の兄ちゃんは時が止まったかのように変わらずにそこにいました。
さすがに白髪は増えていましたが、そこにいたのは相変わらずの「畑の兄ちゃん」その人でした。

「なんだべ、今東京に住んでるんだっけか? 街ん中住んでてうるさくねえか」
「うるさいよ」

様変わりしているはずの私を見ても、まったく昔と同じ扱いです。

この人は宇宙人だ。
私はその時確信しました。

「イモふかしたのあるぞ、食うか?」
「食う」

私は即答し、それから「持ってけ」と新聞紙にくるんだ山ほどのネギとレタスとほうれんそうとゴーヤを両腕いっぱいに持たされました。

そしてあの、と最後に昔、うなぎ釣りを断ったことを謝りたくて、兄ちゃんに向かって口を開きかけ、そのままフリーズしてしまいました。

私は、畑のお兄ちゃんの本名を知らなかったのです。

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