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特別な卒業式 「病が新たな目標を与えてくれた」フットゴルファー柴田晋太朗選手(インタビュー第3回前編)


柴田晋太朗さんは幼い頃からサッカーに打ち込み、世界で活躍するプレーヤーになることを目指していました。横浜Fマリノス・プライマリー、FC厚木DREAMSを経て、日大藤沢高校に入学。2年時(2016年)には神奈川県Uー17選抜の主将を務めるほどの選手になっていました。

2016年の夏、100万人に1人という希少がんの骨肉腫が右上腕に発症していることが判明。抗がん剤治療を受け、2016年12月には右上腕骨を人工骨に置換する手術を受けました。

しかし、2017年の9月にはCチームのメンバーとして、神奈川県の4部リーグの公式戦で「復帰試合」のピッチに立ち、2ゴールを挙げました。

実はその試合より前、9月の定期健診で肺に転移していることがわかっており、再び治療することに。「冬の選手権でピッチに立つ」という目標は果たせないまま、高校でのサッカー生活にはピリオドを打つことになりました。

インタビュー第3回は、高校を卒業してからのお話を中心にお聞きします。

               (聞き手=スポーツライター・佐伯要)


――前回、お話を聞いたのが5月中旬。8月になってもコロナ禍で世の中の状況はあまり変わっていませんが、今はどんな毎日を過ごしていますか?

「ずっと英語の勉強をしています。7月にフットゴルフのジャパンツアーが再開したので、時々外に出て自分なりに練習しつつ、授業の振り返りや予
習・テスト勉強をしていました」


――大会に参加して、どうでしたか?

「大会は久々でしたね、1月以来でした。(新型コロナウイルスの影響による)中断が明けて、率直に言うと、『フットゴルフ、楽しいな』とあらためて感じました。『フットゴルフを楽しもう』と思って臨みました。当たり前ってありがたかったんだなという思いが、すごくありますね。今までできていたことが急にできなくなると、もぬけの殻状態になる。そのなかで、いろいろな人が協力して、従来あったことが再開できるというのは、とてもありがたいことなんじゃないか――そう思いながら、ボールを蹴っていました」

第3回 写真1

                          オンライン取材で答える柴田晋太朗選手(左)


「サプライズ卒業式」で後輩たちに伝えたこと

――前回は高校生活の終わりくらいのところまでお話を聞けたので、今日はまず卒業式(2018年3月)のことを振り返ってもらえますか?

「卒業式は当日には行けず、別の日(3月7日)にやってもらったんです。卒業式に向けて準備していこうという段階の時に、免疫力が下がっていたこともあって、インフルエンザになっちゃって……。ギリギリ出席しようと思えばできたのですが、自分が人に拡げてしまったり、逆に自分がもっと悪化してしまったりしたら困るので、当日は欠席しました」


――出席できなかったはずの卒業式をやってもらったときの気持ちは?

「改めて卒業式をやってもらえると思っていなかったので、『やってくれる』と聞いた時には驚きました。『僕のためにわざわざ開いてくれるんだ』という。実際に卒業式を迎えて、いろいろな選手たちが祝福してくれながら、ホールの中で卒業式をしたときには、なんというか、感慨深いというか、神秘的な空間と言ったらいいんですかね……。雰囲気は卒業式ではないのですが、『でも、卒業式なんだな』みたいな。表現が難しいのですが、なんて言うんだろうな……、祝福してくれているんですけど、包み込んでくれているというか。いろいろな人が協力してくれて開いてくれた卒業式であり、みんな忙しいなか時間を割いてくれて僕のところに集まってくれた。サッカー部員たちだけじゃなくて、クラスメイトだったり、学校内の友達であったり。日大藤沢高校の同級生が僕のために時間を割いてたくさん集まってくれたことが、何より嬉しかったですね」


――その卒業式は、どんなふうにおこなわれたのですか?

「まず、校長室で卒業証書を受け取りました。そのまま担任の先生と一緒に自分の教室に戻りました。そうしたら、同級生たちが控えてくれていて、『おめでとう』って言ってくれて。『みんな居てくれているの?』と」


――それはサプライズだったんですか?

「知らなかったですね。こんなに祝福してくれているとは思わなかったです。そこから、学校内に少し広めのホールに移動しました。そこではサッカー部の下級生の選手たちが花道を作ってくれて。その中を歩いていって、ホールの一番前に座って、サッカー部からの祝福として『卒業式』をやってもらいました」


――送る会みたいなものはサッカー部でやったけれど、それに出られなかったから?

「そう、そう、そう。卒業式とサッカー部の送別会を一度に両方、その日にやってくれました。後輩たちは新チームが始まっていて、その練習前だったのに、みんな練習着で花道を作ってくれて。『感謝しなきゃな』と思いました」


――そこで後輩たちに何か伝えたのですか?

「『僕たちの代でインターハイで準優勝まで行ったので、それを越えるチームになってください』と伝えました。僕たちの代は団結力があって、人を思う選手の集まりだったんです。サッカー以外の面でもすごく優れている選手がいたと思っているので、後輩たちには『サッカーのレベルでも、オフ・ザ・ピッチのレベルでも僕たちの代を越えて、良いチームになって、佐藤(輝勝)監督を喜ばせてあげてください』という思いで伝えました」


――今、『団結力』という言葉がありました。インターハイ準優勝は、柴田選手はスタッフとして、選手としてとは違う立場で見ていましたよね。本来なら自分がいたはずのところにいられなかった、そこにわだかまりは?

「どうだったかな……。本来ならそこに出たかった気持ちはありましたけれど、自然と『メンバーに入っている選手たちをサポートしないといけない』と、スッと切り替えられました。試合を見ていて『プレーをしたいな』とは思ったけど、『俺がここにいれたらな』という、もどかしい思いはなかったと思います」

――チームを客観的に見られた部分もあるわけですよね。

「そうですね、外から見ていて『良いチームだな』と思っていました。そもそも自分たちの代は横のつながりに結束力があって、仲が良いんですよ。自分がスタッフとしてベンチに座ったとき、同じ代の仲間たちはそれぞれ、ピッチの外から応援している状況、また何名かはピッチの中で頑張っている状況、ベンチに一緒にいる状況にありました。それを全部見た時に、もちろんそれぞれ思いはあると思うんですけど、誰一人としてみんなの足を引っ張るようなことにはなっていなかったですね」


――わだかまりはなく、『サポートはサポート、ピッチで頑張るやつはピッチで頑張る』みたいに、それぞれが役割を果たしていた?

「そうですね」

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恩師からのメッセージ「お前らしく突き進め」

――話は卒業式に戻るんですけど、そういうチームだったからこそ、佐藤監督もその代に対しての思いはあったと思います。佐藤監督から柴田君へのメッセージは、どんな言葉でしたか?

「『お前らしく突き進め』と。佐藤監督は、僕が闘病を乗り越えている姿も、ピッチの中での姿も、見てくれていた。それをひっくるめて、監督は、僕が常に前向きに真っすぐ、ものごとに対して突き進んでいく姿に感銘を受けてくれていたようで。最後の最後に、佐藤監督から『お前ならできるから、最後までやり通せ』『お前らしく突き進め』という言葉をいただいて、それがスーッと入ってきました。監督らしいな、と」


――卒業式では、お父さんとお母さんもその場にいらっしゃったんでしょうか。

「はい、いました。3人で壇上に立って、僕が真ん中で、右が父、左が母。佐藤監督が『手と手を取り合って、お互いに気持ちを確かめてください』と言って、家族で絆を再確認した……みたいな感じでした」


――その時に考えたことや感じたことはありますか?

「不思議な感覚でしたね。もちろん感謝ということは思いました。『お互いの気持ちを……』と佐藤監督に言われたときに、闘病のことが頭に浮かんできました。それが結果的に感謝に繋がっています。ただ、特別な思いというわけではありませんでした。父、母と特に言葉を交わすこともなく、泣くこともなく。ウチの家族らしい感じで、淡々と」

――淡々と? 「しみじみと」というよりは淡々と?

「うーん、しみじみはしていないと思います。普通はそうなると思うんですけど、ウチの家族は感情の上下がないので。ウチらしい感じで終わったかなと」


――その日、家に帰ってから家族で特別な話をしたということは?

「特になかったですね(笑) 『卒業式終わったな』みたいな」


                    (第3回 後編へ続く)


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