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大人と子どもが共存できるのかという疑問

ダイアナ・W・ジョーンズが好きだった。
幼い心に心地よく染み渡る優しさと空想を、言葉にして物語にしたらこうなるのではないだろうか、という児童書を書かれている作家さんである。
(海外の方なので、翻訳された方が合わせて素晴らしかったのかもしれない)

私は幼少期図書館が大好きで、週末には何冊もハードカバーの児童書を借り読み漁っていた。
もっぱらファンタジーが好きで、魔法使いや妖精が沢山いる世界の空想に耽った。

ダイアナ氏はその中でも、図書館にあるだけ全作品探して読み耽るほど好きだった。
物語はもちろん、彼女の作品のハードカバーを多く手掛けていた佐竹美保さんがとても好きだった。むしろ、彼女の挿絵のある図書を探して読んだ。
ファンレターと言うものを自発的に書いたのは、後にも先にも彼女だけである。

作家や画家になりたい、なんて考えてた当時の私は、彼女に文を認めた。
溢れる大好きと、疑問をこめて。

「どうしたら、あなたのような絵が書けますか?画家 になれますか?」

あまりに素敵な彼女は、手書きのメッセージ付きのポストカードを返事にくれた。

明確ではないが、このように書かれていた。
「大人になっても、今のあなたの様な子供の心を持ち続ける事が、とても大切で尊いですよ」と。

あれから、十数年、もしかしたら二十年ちかく経った今、あの言葉が痛い程沁みる。

今の私には、きっとあの時の様な空想の世界は見えない。現実と比較したり、それは恥ずかしさだったり、重要度が下がってしまった事だったり、沢山の理由から、物語を紡ぐことをやめた。

今でも描きたいと思う。
あの時の私に尊い世界を見せてくれた、素晴らしい物語を私も書きたいと、やっぱり今でも思う。ふとした時に、強く思う。
それは、文章でもイラストでも。私の脳内に世界を作り、書き起こしたい。

でも、無理じゃね?
めっちゃむずくね?

なんでなんだろうか。アイデアのカケラすら、最近は見えない。
思い起こすこともほぼないし、ごく稀に見えても、「いや、違うやろ」と成長した私が否定して、形作るところまでいかない。


高校生の時、演劇部に所属していた自分は、部員数や著作権のこともあり、自作の脚本で舞台をしていた。
あの頃の作品がいまだに1番美しいと思う。
未熟だし、今読み返すと「あーーー!!」と顔を埋めたくなる気持ちもあるが、「それはそれでいい味出してんじゃね?」とも思える。
青臭くて、痛々しくて、透明に近く、迷いなく、歪で尖って美しかったと思う。
あの頃目指してた、雨の日に見る部屋からの窓の景色のように、青っぽい透明に伝う雫のような、そんな文章を書いていたと思う。

それを超える、今の私を肯定できる作品は未だない。

子ども心を持つ私を、今の私の中に残しておきたい、というか、うまく共存したいな、なんて思う今日この頃でした。

今までの私はじわじわ死んだ、と言ったnoteも書いたし、大人になりてーとも思う。けど、やっぱり、キラキラした子ども心も共存しておきたい。そんな作品作りたいと、最近、今更ながらめちゃくちゃに思う。
大人の毎日もきっと楽しいんだろうけど、空想の世界だって違う楽しいがあるじゃないか。
それを、私は今、作りたいと思うのですよ。

絶対、あの時の10代やそれまでの感覚は戻ってこないけど、今の自分をもっと好きになりたいから、あの時と融合できたら無敵じゃないか?と思ったからで。
考えることをやめずにいよう。
考えるってあれね、空想妄想のことで。
神話とか天使悪魔とか好きやったやん自分。キャラクター設定考えるの好きやったやん。
今も考えていいのよ?
どうせ私はこのままいつか死ぬし、死ぬ前に幼少期を超えたいのよ。
超えなくても、あの時が私の最高って思い出して死にたくないんよ。

それだけ、それだけなんやけれども。
最近は、こんなことばっか考えてる。
そんな、今日この頃でした。
さようなら。


冴木


#長い独り言

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