見出し画像

私は所謂主人公になりたかった。

物書きになりたいと幼少期に思ったことがある。
その熱がふと思い出したかのように温まってしまったから、記録したいと思い久しく開いていないノートを開けた。

私は、私じゃない何かにずっとなりたくて、でもそれは私を媒体とした素敵なものになりたかった。
誰もが振り返るような美しさを持ち、誰もと友人になれ、誰もが憧れ、誰かのものになりたかったし、唯一無二の存在になりたかった。
思春期に皆が通る道を、私は抜けきれず、未だにその道を伸ばし続けている。

モラトニアムの時期にもそれは続いてて、数年前に迷子になった。
身体が大人になるにつれ、中身が追いついてない事に不安を持ったし、でもやっぱり皆の憧れる、注目される主人公になりたかった。
普通にも憧れたし、普通を極端に嫌った。
でも、普通にも異端にもなれずにいた自分が本当に理解出来ずにいた。

自分ってなんだよって、考えながら、自分じゃないものを演じて、それを仕事にしようとしたから、もう破綻の連続で、意味不明になりいよいよ大人の大迷子。
数少ない友人にも迷惑かけたり、宗教にもハマりかけた。

昨年の初めに、流れでカウンセリングにかかることとなり、初めはかなり不信感を持ち続けていたが、今では仕事の変化も相まり、少し現実と向き合えてきたようで、改めて自分について考える余裕が出来てきたのである。

物書きになりたかったのは、妄想空想が好きで、全て私の代弁者で、何者にでもなれ、それを人に表明できる場であると思ってたから。
それがお芝居に移ったのは、よりダイレクトに自身を媒体として外に表明できると思ったから。でもそれは間違いだった事にも気付いた。し、間違いというか、表明の仕方が違う方が多分自分的にも良かったんだろうなと最近気づいた。

これからどうするかとか、もっと早くに気付いとければとか、今更に思うことが多々あるけれど、気付いた自分は気付く前の自分に戻れないから、どうにかしていきたいのだけれど、やっぱり理想が捨てきれなくて少しずつ理想のカケラを持ったまま少しずつ磨いて、死ぬまでにどこかのカケラが光る瞬間があればなんて思う。

恐らく、私はこの先自分以外を愛さないし、富や名誉を手にすることは出来ない。
私のかつて愛した芝居もいつか本当にお別れする日が来るだろう。(今までも愛してたか、真摯に向き合えてたかと言われるとそうではないと思う。でも手放すと、今までの芝居の向き合い方とさようならをした時、本当に辛かった。から、向き合い方はおかしかったけど、私なりに本気だったのだと思う。)

私が好きな私も年々いなくなるし、違う私になっていく。
私の好きな人たちも家族も、きっといなくなるから、それはどう乗り越えたらいいのかわからないけれど、どうしようもないから今を生きてく。そういう風に思う事にしている。

また、文章を書ける日がきたらいいなと思う。私があの時愛した児童文学のように、夢や希望にあふれたキラキラした透明なものを描きたいと思う。それで万が一お金がもらえたらすごく幸せだけれど。そこまでハードルは上げないでおこう。
いつか人前で歌を歌えたら最高だと思う。このタイミングは来そうにないし、自分の歌声が年々嫌いになるから早くタバコはやめるべきだと思う。(思うだけであと数年はやめられないだろう。)
今では無理だと思うけど、いつか、素敵なお芝居ができたら、本当にその時は死んでいいくらい嬉しいと思う。これは、本当にそう。

いつか、のミルフィーユで、いつかは来ないかも知れないけれど、いつか、が来るために私は魔女を目指すし、自分しか愛さないと思う。
でも、愛し方を間違えないよう、少しずつ、嫌なものから逃げないようにしたい。

私は主人公ではないし、明るい性格ではなく、人付き合いも好きじゃない。人と喧嘩は嫌いだけど、短気だし口も悪い。
見た目も努力してないから、私の理想の美しさはないかもしれない。
私は所謂女性になりたかったけど、今の自分には厳しそうだし出来たとしてもまだ先になりそうだから、その時の楽しみに取っておく。
いかんせんナマモノだから、あまり先になると楽しみ方が変わってしまうかもだけど、
死ぬ時寂しいから以外の理由で子供が欲しいと思えたら、家族も欲しいと思う。
あまりに利己的でない自分になれたら、でそれはいい。

今の仕事も悪くはないけど、職場のせいか良い印象はない。から、早く楽したい。なんて思う。せめて働いた分の賃金と安心は欲しい。

主人公の役どころじゃないと知ってたけど理解が遅くて拗れた、そんな自分の話でした。
私ってなんだろうといまでもたまに思うけど、どうでもいいかそんなことと思うことが増えたので、一度、子どもの私が死んだって話。
もう数年前に気づいてたら、所謂私の理想の大人の女性になっていたかもしれない。
年相応に着飾って、顔面施す手間も惜しまないし、ヒールのある靴履いて、バリバリ仕事して、恋愛ごとに興じて、パートナーを見つけて、家族を願うなんて、そんな生活を送っていたかもしれない。

今でも憧れるし、格好いいなと思う。
けど、今の自分じゃ難しそうかなぁ。
着飾る機会も減ったし減らしたし、仕事には最低限の格好で向かう。
見栄えは悪いけど、仕事には必要がない。
爪だけキラキラだったらそれでいい。

なんて。
文章ってなんで終わりがあるんだろうかなんて思いながら、同じ位置をぐるぐる回るような思考で思考を垂れ流してるから、いいオチが見つからないし、纏まってないし、読みやすくもないけど、最近の私の日記でした。

今年の目標は、私が私をより好きになる。ですので。
今までの自分はじわじわ死んじゃったから、今の自分を愛せるように、新たに始めまして、をしようと思う。
きっと気づかないようにしてただけで、ずっと私はこうだったのかもだけれど、今とこれからの私を後悔なく愛せるように、今を生きていきます。
YouTuberみたいなコピーでちょっと面白いけれど。そんな感じ。

なんでこんなの書こうと思ったかというと、私の愛するヤマシタトモコ先生の「違国日記」を読んだからで。一時期刺さり過ぎて痛くてずっと読まずにいたけど、最近また触れたくなって触れたらこうなった。
感化されやす過ぎで笑っちゃうけど、日記だからという言い訳。

また、きっと書こう。
その時には、私が魔女に近づいてたらいいなぁ。という希望的観測。
さようなら。


冴木

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?