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無理なものは無理、と思うこと。

私は、完璧主義で自己肯定がうまくできない人だった。
逆に言うと「私には不可能なことはないぜ」と思う事で、希望多く夢描きがちな精神を大切にしてきたのだ。

だからこそ、出来ないとはちゃめちゃに凹むし、出来てもより良い解が、結果にたどり着くのにより良いルートがもっとあったはずだと、それが出来なかったことを必要以上に悔やんできた。


一昨年仕事を変えて、20代も後半から未経験OKなデザイン事務所で働き始めた。
最初は非常に自分の性質に苦しめられた。

「何故もっと出来ないのか。何故もっと努力出来ないのか。」


幼少期、あまり努力せずとも要領よく点数や大人の機嫌を取れてた私は「上手な努力の仕方」が分からず大人になってしまっていた。
中学生か、そこいらで父に努力とはなんぞやと聞いた事がある。

「血反吐を吐くまで頑張る事だ」

素直な子供だった私は、その言葉の一側面に囚われ、精神論だけで壁にぶち合った時乗り越えようとしてきた。
が、うまくいく訳もなく心がバッキバキになって、それ故に仕事を変えた訳なのだが。  


未経験可のデザイン事務所では、遅めにデザイン業界に入った社長や上司やらがいて、同じ状況の人の為になればとそうしてるらしい。
が、やはり一から知らないことを実践で学ぶのはかなりしんどい。
今は卒業している先輩達は出来が良く、「どこどこの会社に入って、今も活躍している。君もそうなってほしい。」なんて、よく聞かされていた。
「知らんがな」と今なら思うが、当時は期待に応えなければと必死だった。 

理不尽だと感じてしまうような仕事や仕事量にもなんとか立ち向かい、自分の中の「嫌だ」を見ないようにしてきた。
が、ある時また心折れかけた。

どんだけ脆い心なんだとまた凹みそうになるが、あるラインを越えたら「こんだけやってんねんくそが!!」と思うようになった。
第一次自分内革命であった。


上手な努力は出来てなかったかもしれない。
人より回り道はしてるかもしれない。
だが、前より出来ることは増えた。
出来ないことを出来るようになるよう工夫を自分なりにしてきた。
まだまだ足りない所だらけだが、今では人手がたりない事務所の中心制作メンバーとなってしまっている。


そんなもんだと思う。
「何で出来ないんだろう、自分はダメだ」ではなく、「何で出来ないんだろう、問題点、改善点はどこだ。納期がやばい」となってしまえば凹む暇もない。
て言うか頑張ってんじゃん私、仕事量やばくない?冷静に見て。みたいな思考が年中無休のデスマーチのおかげで身についた。

血反吐が出たとこで制作が進むのか、と言われたらそんなことはない。
ならば血反吐吐かずに納期守れて、良いもの出来た方がいいじゃん。

私は上手くいかなかった原因は、手段の結果が努力と呼ばれる事であると考えず、目的を努力することにしていたからであると、気付いた。
結果がどうこうではなく、私が血反吐を吐けるかに固執していたのだ。

そりゃしんどいよなーと思える今に感謝である。


そうして私はハイパー無敵マンになりました。なんてオチは残念ながらなく、相変わらず心の中で悪態つきながら、たまに折れそうな心と共になんとか必死に仕事を終わらせようと生きている。
無理だと思うことは、やはりしたくないし、不可能なことはない自分でありたいとどこかでずっと願っている。
が、「無理なものは無理」と自分に言い切れるようになると、その次の手を考える事が出来るのだと気付けた。

だから、早めに無理に気づいて違うルートを探す事。自分の無理を見ないふりしない事。
これは諦めじゃなく、別案である。
結果良い感じになれば問題ない。
それが仕事であっても、自分のことであっても。


そう思いながら、心が折れて諦めてた事が後々出来るようになればと願いながら、今日も、明日も過ごす。
いつか格好良くてハッピーな自分が望んでた自分になれたら最高だな、なんて思いつつ。


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