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そこに神がいる


なにごとのおはしますか知らねども かたじけなさに涙こぼるる 
                                西行


女の人って集まるとなんか変だよね
 父の一言でこの雰囲気が何となく腑に落ちたような気がした。
 
 秋子は今現在の惨憺たる状況をすでにあの時点で予測していた。
 あの時点というのは年度初めにある、聖マリア幼稚園父母の会総会の時のことである
「それでは二十五年度の父母の会役員を決めたいと思います。」
 前年の書記を務めた年長の母親が今年の新入生の母親からも、一人役員を選ぶようにと促した。
 聖マリア幼稚園父母の会の役員は会長、副会長、書記、会計、会計監査、幹事の六名からなり、父母の意見をまとめたり幼稚園をサポートする役割を担っている組織である。
 会長、副会長は男性、つまり園児の父親から選ばれ、その他の四つの役職は園児の母親が務めることになっており仕事が忙しい男性役員は実務に携わることはあまりなく本当に必要な時のみ顔を出し、基本的に母親達で運営している。
 秋子は始めから聖マリア幼稚園父母の会総会に出席するのをためらっていた、この総会で役員を決める事を事前に園から配られる手紙で知っていたからである。
 誰もが役員など面倒な事から逃れたく思うだろう、そこは秋子も同様だったが入学前の一年間、二歳の未就学児を対象に行われた週一回二時間ほどの『たまご組』という実際聖マリア幼稚園に入学したらこういう教育が受けられるという体験入学に参加して一年間息子がお世話になったという感謝の気持ちがあり、もし役員が決まらなかった場合に断りきれる自信がなかった。
 しかし楽天的な気持ちもあり、新入生十人の内たった一人が選ばれる役員だから確率は十分の一、まさか自分が…という思いもあったので嫌な予感を打ち消して父母の会総会に出席したのだった。

四月八日

 聖マリア幼稚園に併設されている教会にて園長のマルタン神父様の挨拶から始まり滞りなく会は進み最後に各学年に分かれて役員決めとなった。
 同じ学年の母親をみると参加しているのは秋子を含め五人、十人の園児がいるといってもフルタイムで働いている母親が平日の会合に出席できる訳も無く、専業主婦の二人と自宅で仕事をしている二人とバイトで働いている秋子の合計五人に「役員をやりませんか?」の言葉が投げかけられた。

 言葉を投げかけたのは年長の母親の都古さん、都古さんは二人目の子供が秋子の息子と同じ学年で昨年の『たまご組』の時に色々と教えてもらった経緯がある、母親になる前は自分の地元で公務員をやっていたらしく人間関係や役員の仕事にもそつがなく結婚を期にこのI市に越してきたのだ。
 今は専業主婦で二児の母、一見おとなしそうだが「田舎の人間はマナーがなってない!」と憤っている所を見ると意外と激しい性格なのだと想像がついた。
 そんな都古さんが哀れな子羊の群れと化した年少『ひよこ組』の母親一人づつに役員を勧めていった。
「自信がない」「二人目がまだ小さい」「仕事が忙しい」など口々に言い、当然了承する母親などなく最後の一人の秋子に「役員やりませんか?」の言葉が投げかけられた。
結局嫌な予感は的中した。
 「中心になるのは年中さんのお母さんで、年少さんは園の事がまだ分からないから責任が軽いですよ。」という言葉に背中を押され「いいですよ、やります。」と答えたのが、秋子にとって今までの人生で一番軽率な一言だったと言っても過言ではない事を後になって思い知らされた。

✴︎ ✴︎ ✴︎

役員の面子が決まり他の母親が解散した後に役員だけが残り顔合わせとなった。
年長から一人、年中から二人と年少の秋子の合計四人の母親達が自己紹介を始めた。
 年中の二人の母親のうち一人は面識があった、息子の入園前の導入保育期間中に園で行われた節分のイベントの時に初対面であるにも関わらずたまたま隣にいた秋子に「カメラを忘れたからうちの娘も撮ってほしい」と言い出したのだ。
 その時におかしいと感づけば良かったものの天然な所がある秋子は気さくな人だな程度にしか思わなかった、もちろん了承して撮ってやり写真データをCD-Rに焼いて渡してやった、もっとも彼女の名前を初めて知ったのは役員になったばかりのこの時であったが…。
彼女の名前は猪又桜子、そして桜子に引っ張られて役員になったと思われる、もう一人の年中の母親は竹尾智子である。
 この二人は役員決めの時も異色で桜子は自ら手を挙げ智子は桜子に手をつかまれ上げさせられていた。
「私は年長の母親で来年卒業ですから引き継ぎのない会計監査をやります。」と強くきっぱりと言った一番飾り気のない地味な母親が坂下友子だった。
 自己紹介の後に役職を決める必要があった、坂下友子が一番仕事の少ない(年度の最後に会計のチェックをするだけの)会計監査という役職を強く主張したので、残る役職は書記、会計、幹事の三つとなった、書記は父母の会のお手紙を作ったり書類作成が多く、パソコンが使えないと厳しいとのこと、年中の二人はパソコンが苦手だと言うので秋子が書記をすることになった、桜子が幹事をやりたいと言い残る会計に智子が納まった。
 とりあえず各々の携帯番号とメールアドレスを交換して次回の役員会の日程を決め解散となった。次回の役員会は四日後の金曜日、他の日はバイトがあり唯一の休日を役員会に奪われ、秋子にとっては憂鬱な一年のスタートだった。

 結婚してから専業主婦であった秋子がバイトを始めたのは今年の一月、友人のシングルマザーである景子から誘われたのがきっかけだった。
 息子が三歳になり幼稚園に入学したら何かしら仕事をしようと決めていたが、この年で全然知らない職場に電話して、アポを取り面接に行くのは流石に気が重かったので、景子の人手が足りないの言葉に飛びついた。仕事開始の時期は少し早まってしまったが背に腹は代えられない。
 核家族で実家が遠ければ子供の入園まで働くのは無理だが、秋子は自分の両親と二世帯住宅に同居しているため多少の融通はきく、少しの時間でも息子と離れるのは寂しかったが、住宅ローンもあるしで、覚悟を決め、息子を預けてバイトに行き始めた。
 仕事内容は観光ホテルで出す夕食の前菜と朝のバイキングの盛り付けをする、いわゆる調理補助である。
 秋子は調理場のユニホームである白衣を試しに着てみた、その姿を両親にみせると父は「給食のおばさんみたい」母は「そんな地味な仕事…」と口々に否定的な事を言うのでカチンときながら以前父の介護の仕事に対する「地味で大変なのに低賃金。」発言を思い出した。
 父は自分の母親、つまり秋子の祖母が特別養護老人ホームで介護士さんに大変お世話になっているというのに、どの口でそんな無神経な事が言えるのであろう…
 秋子は結婚を機に地元に戻ったが、それ以前は東京有楽町で複合商業施設の販促用DTPデザインをする仕事をしていた。慣れた仕事の方が良いが田舎であるI市には秋子が以前していた様な仕事の募集が無く、あるとすれば観光地ならではのホテルや旅館に関することが多かった。
 秋子は主婦になって初めて知ったが、今までは同じ仕事でも主婦がやればパートで学生さんみたいな若い人がやるのをバイトだと思っていたけれど、パートは労働基準法により、賃金と労働時間を除けば基本的に正社員と同じ待遇であると定められていて、働いている時間が短いというだけで有給休暇や各種保険、健康診断などの面では職場での待遇が正社員と同じであり、アルバイトは多忙な時期に一時的に雇用される労働者のことで、待遇は優遇されないらしい。秋子は扶養の範囲内で働くのでパートではなくアルバイトである。

つづく

ありがとうございます!制作に使わせていただきます。