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「諦めない」を選択できる世界

数年にわたる闘病生活を経て、新たに芽生えた課題意識や想いが幾つかある。そのうちの一つが、「より多くの人が、人生を諦めずに生きられる社会になって欲しい」というものだ。

「もう頑張らなくて良いんですよ」
心療内科の主治医は繰り返しそう言った。長い間、自分自身のキャパを見誤っていた私には、このくらい直接的な言葉でブレーキをかけてくれる人が必要だったのかもしれない。「もっと力を抜いて良いんだよ」という主治医なりのやさしさを込めたメッセージだったのかな、とも思う。実際、主治医が心身の状態を丁寧に診察し、薬の処方に留まらず、さまざまなアドバイスをくれたお陰で、私は変なプライドや固定観念を少しずつ手放し、肩の荷が降りた感覚はあった。そして、徐々に酷い不安感や激しい気分の落ち込みは薄らいでいった。だけど、治療を続けても身体症状の方はなかなか改善せず、長期間膠着状態にあった私は、「もう頑張らなくて良いんですよ」という言葉を投げかけられる度に、どこか「もう諦めて大人しくしていなさい」と言われているような気がして、悔しくて仕方がなかった。

私が自分の心身と向き合って治療に専念しようと決意したのは、傷ついた体と心をケアして、躓いた場所から立ち上がり、もう一度自分の力で自分の足で自分らしく歩き出すためだった。それなのに、「この先はもっとテキトーにして、もう頑張らなくていいんですよ」と言われるのは、例えそれがやさしさから来た言葉だったとしても、私にとっては酷な話だった。何かに一生懸命になって情熱を注いでいる瞬間こそ私は幸せを感じられるし、「生きている」と実感できるのに、少しでも状態が良くなったらまた何かを頑張りたいという想いがあるのに、そういう考え方から離れなさいと言われる。私はそれを受け入れることができなかった。その選択をしたら、私が私じゃなくなってしまう気がするのだ。

それでも、体調を崩してからというもの、まるで社会からも「もう諦めなさい」と言われたような気分になることが多々あった。(当時は随分悲観的で、かなり極端かつ後ろ向きな考え方になっていた自覚はあるのだけれど、ここにはありのまま書きたい)
療養期間中、私は自分の生き方や働き方について考え直すようになり、新しい環境で新たな一歩を踏み出そうかと求人情報に目を向けるようになった。ところが、気になる求人の応募条件を見れば、その中にはっきりと「心身ともに健康な方」という一文が添えられているのを其処彼処に見つけては、ひどく落ち込んだ。「症状の一部は今後も完全になくなることはなく、うまく付き合っていくしかないかもしれない」と言われていた私は、この先も(定義は曖昧だが)世間一般に期待される『健康体』にはなれない可能性があって、「ここも、ここも、ここも、私には応募する資格すらないのか……」と、自分を受け入れてくれる環境が限られる現実に、ますます自信を無くし、深いため息を吐いた。

企業がより健康的な人を雇いたいと考えるのも、分からなくもない。でも……誰も好き好んで病気になるわけでもないのに、一度でも病気をした人は、どんなにやる気や向上心があっても、もう頑張ることができない人間とみなされてしまうのか。持病や障がいがある人は、新しい夢を見たり、何か希望を抱いて挑戦をすることは許されないのか。心身の不調が原因で一度立ち止まれば経歴に×が付けられ、どこか引け目のようなものを感じながら、社会の隅っこの方で大人しく生きなければならないのか。

この先ずっと……?

身体が抱える症状との上手い付き合い方を模索しながら、ありたい自分であろうとすること、なりたい自分に近づこうとすることは、そんなにも「求めすぎ」だろうか。
なんだか、納得いかないな……。

そんな風に一人、悶々としていた。

あなたは、障がいのある人は、人生を諦めて、ただ生きていれば良いと思っているんですか。

ドラマ『アンメット ある脳外科医の日記』第1話より

ドラマ『アンメット ある脳外科医の日記』に登場する脳外科医・三瓶友治の真っ直ぐなこの台詞を聞いたとき、私は自分の気持ちに光を当ててもらえたような気がして、思わず泣きそうになった。ずっとこの言葉を待っていたのだ、と思った。本来はテレビドラマをリアルタイムで追いかけることがとても苦手な人間なのに、以来、私は『アンメット』を毎週欠かさず観ている。

この物語の主人公、記憶障害を持つ脳外科医・川内ミヤビを取り巻く世界は厳しい現実で溢れている。けれど、その世界で懸命に生きる人々は、人間味があり、心強く、温かい。病気や障がいを抱える人と周囲の人々が互いを理解しようと努め、ぶつかり合いながらも支え合い、寄り添い合って生きていく様が描かれる。
フィクションだということは重々承知しているけれど、毎週一話一話観る度に、この作品から伝わってくるメッセージを、私たちの社会に還元していくことはできないだろうか、と考えずにはいられなくなる。そんな作品だ。

『アンメット(unmet)』……この社会に生きる人々の中にある<満たされない>想いに光を当てるために、私にも何かできることはないかを考え、その足掛かりとして、まずはこうして自分で自分の素直な想いを文章にすることを決めた。

より多くの人が、人生を諦めずに生きられる社会になって欲しい。

困難な状況に直面したとき、「それでも諦めたくない」と思うかどうかは人によるし、私は「諦めることは悪だ!」とか「諦めないことこそが美徳だ!」と言いたいわけではない。もっと言えば、諦めることは簡単ではなく、生半可な覚悟ではできないということこそ、私がこの数年で身をもって学んだことである。だから、私の願いをより正確に言葉にするなら、諦める/諦めない』という各人の意思を尊重し、認め合い、支え合って生きられる社会になって欲しい」と言うべきかもしれない。

人が何かを諦め(ようとす)るのには、それなりの理由がある。本人の気合いだけではどうにもならず、社会全体の仕組みや通念に左右される部分も大きい。その事実から目を逸らさず、世界がほんの少しずつでもより多くの人にとって生きやすい形へと向かって行くように、私にもできることは何かないか考え、行動していきたい。

2024.06.02

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