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書くからには

書くからには、見てもらいたいという気持ちがあり、その気持ちがあるからこうやって書いているのではあるが。
格好つけるつもりはないが、ダサい文章もいやなのである。

テレビのトーク番組を観ることが減った。
ラジオも聞かなくなったが、ふつおた(普通のお便り)を書きたい(読んでもらいたい)というのは、普段から思っている。
毎日、いつでも、ってことはないが、フツーの出来事やフツーの気持ちを文字(文章)にして、投稿して読まれているのを見ていることが、少しだけ自分にとってはツボである。

何をもって普通?みたいな判断はあるが、
『よくそんな普通のことを(番組に)メールする気になったな』とか、
『普通って言ってるけど、普通じゃないよ、狙ってるじゃん』みたいなものが、見え隠れしているのが感じられしまった時、なんだかおかしい。

日々、毎日、いろんな出来事があり、自分の横を通り過ぎていく。

ふれたかどうかわからないならまだしも、ぶつかったことさえ気付かない。すぐに忘れてしまうことも多いと思う。

昨夜何食べたっけ?
よく出る例えだが、まさにだ。

今日のあれ、何だったっけ?
いや、いつもある普通のことなんだけど、よくあるんだよね、みたいな。

決して忙しいからとかじゃなく、"その"普通のことさえ感じられず、残らず過ごしてしまっているんだ。

やはり、ふつおたを書けるって、ちょっといいよね。

本当に、ちょっとだけ、すごいと思う。


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