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会えないから、ここにいる

私は世間一般の人からしたらSNSの使用頻度が高い方だと思う。
以前別の記事でも書いたように、私はFacebook、Instagram、Twitter、そしてnoteをそれぞれ用途別に使い分けている。

今読み返して気付いたが、この記事を書いた後でもう一個Twitterアカウントを増やしているという...。
全くSNSをやらない人からしたら、中毒と言っても過言ではないのかもしれない。

なぜ私がここまであらゆるSNSを駆使しているのか、その理由が何となく分かる出来事があった。

先月末、塾講師時代の友達とオンライン飲み会をした時のことだ。

その友達とは、私が埼玉から実家に戻って以来5〜6年会えていない。
それでも、誕生日プレゼントや結婚・出産祝いを送り合って、近況報告するやり取りが続いていた。

二十代前半の一番だらしなかった時期を、一緒にお酒を飲んで笑って過ごしてくれた大事な友人。
久しぶりに顔を見て話す機会ができたことを喜びつつ、前みたいに話せるのか不安でちょっと緊張していた。

産後あまり人と会う機会もなく、話し相手は旦那と息子ばかりだったので、何の話をしたら良いのかも思い付かなかったのだ。

ところがどっこい。

いざカメラにお互いの姿が映ると、なんとも言えない懐かしさと安心感がこみ上げてきた。緊張なんてものは、顔を見た瞬間にパッと消えた。

不思議なもので、「久しぶり〜!」と言いはしたものの全然久しぶりな感じがしない。
6年前に「またね」ってバイバイして、すぐまた会ってお喋りしているような。
空白期間が長いのに、お互い結婚もして生活がガラッと変わったのに、戸惑いも違和感もない。

その理由こそが、SNSなのだ。

かれこれ9年ほど運用しているTwitterアカウントをお互いフォローしていて、なんとなく近況は把握出来ていた。
好きなアニメの話をすると反応してくれていたし、旦那の愚痴や育児の弱音も多分見られていたと思う。

更にはFacebookとInstagramでも繋がっているので、息子の成長も知られている。

知られている...という言い方は違うか。

私は知っていてほしかったんだと思う。
忘れないでほしくてあちこちで人と繋がって、他の人よりこまめに投稿しているのだと。

離島で生きていくと決めて地元に戻って、私は大学時代の友人や島外に出た友人と気軽に会えなくなる覚悟はしていた。

だからこそ、会えないからこそ、私はSNSに存在しているのだ。

このだだっ広いインターネット上を日々あちこち駆け回っているのは、そういうわけらしい。
(自覚はあまりしていなかったけど)

noteで繋がっている人とも、直接会うことはできなくても、何となく人柄や暮らしを知っている感じがちょっと嬉しい。
noteに影響されて興味を持つこともあるので、割と影響力のあるSNSだなぁと勝手に思っている。

会えないけど、ここにいます。
皆さんもここにいてくれてありがとうございます。

大変な世の中ですが、一緒に乗り越えましょう。くれぐれもご自愛ください。


ApplePencil購入資金、もしくは息子に酢だこさん太郎を買い与える資金になります。