人に見せる文章を書くのが怖い

言葉は人を写す。

文章を読むと、言葉の選択やリズム感、句読点の付け方、構成、例え方、長さ、伝える内容やテーマ、様々なところでその人らしさが出る。
文章で人を好きになったり、好きでなくなったりすることもある。

そう思うほど文章を書いて人に見せることが怖くなる。

どう思われるんだろう、何を感じるんだろう、がっかりされるかもしれない・・・
人目なんか気にしなければいい、そんなに人は見ていないのだと言うのが頭でわかっても、人にマイナスの感情を向けられるかもしれないというはやっぱり嫌だ。

特に自分の感情や内面、事実以上の内側から出るものは見られたくない。
なんてちっちゃい人間なんだろうと自分自身に思ってしまうのが一番嫌だ。
いっそ全裸を見られる方がまだましなのではないかと思うことさえある。

でも人は感情や意志に共感する生き物なのだとつくづく思います。
憧れます。私もそんな生き方をしたいと思っている人というのは、職業でも活動内容でもなく、言葉ににじむ価値観や考え方に惹かれたからです。

思えば自分を表現するということから逃げて逃げてきた。

感想文は習った優等生なテンプレートに沿って綴る、
図工は教科書の作品とクラスの上手な子の作品を真似て作る、
人へのメッセージは曖昧な表現を使って濁して話す、
なんとなく形は整って変ではないけど、面白みがなくて何が伝えたいかわからない、そんなのばっかりだ。

やめたい。やめたいんだそんなの。

形だけ繕うんじゃなくて、不格好でも何かグッとくるものを、ちゃんと自分を表すものを作りたい。
自分の好きなものをもっと伝えたい、広めたい。
道具は使っていかなければ思うように作れないなんて当たり前だ。まずは作らなければ。

でも怖い。怖い。嫌だ。嫌だ。目の前に迫ると逃げてしまう。
これはきっと今年超えなければいけない一番の壁なんだろうな。

表現すること、言語化すること。

たくさんご迷惑をおかけしていてすみません。頑張っていきます。


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