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100日後に死ぬワニを見て思い出したワニのこと。

何かと流行に疎い私は、100日後に死ぬワニが死んで初めてその存在を知った。

リツイートで流れてきた100日目だけを見た私は、子供の頃に出会ったワニのことを思い出した。


これは100日後に死ぬワニとは全く関係のない極めて個人的なワニの話だ。


10歳くらいの頃だろうか。僕は近所の森化した空き地を秘密基地にして遊んでいた。いつものように空き地へ向かうと、見慣れないワニのようなものが横たわっていた。恐る恐る近づくと、それはワニの剥製だった。

一体なぜ僕の空き地にワニの剥製があるのかさっぱり理解できなかったが、ひとまず面倒を見ることにした。藪の上に段ボールの屋根を乗せて簡単な小屋を作り、その辺りで見つけたインスタントラーメンの器に水を入れてワニの側に置いた。

それから放課後、空き地でワニに会うのが楽しみになった。口の中が真っ赤だったので「火とかげ」と名前をつけた。水は最寄りの公園から汲んできて毎日入れ替えた。帰り道で見つけた木苺を実を摘んでワニに食べさせた。賽銭みたいにおもちゃのお金を器に投げ入れて遊んだ。

週末は空き地に行かないので、どうしてもワニを家に連れて帰りたくなった。僕はワニを抱き抱えるようにして茜色に染まる閑静な住宅街の坂道を歩いた。間も無く重さに耐えかねた僕はワニの尻尾を掴んで引きずって歩いた。途中で前足の付け根が折れておが屑のようなものが出てきたが、ここまで来たからにはもう戻ることはできなかった。

家に辿り着いた僕はワニを庭に置いた。居間の窓からよく見えるところに。これでもう大丈夫。僕はワニが庭に居る家で夕方の再放送のアニメを見ていた。

しばらくして母が帰って来て、ただいまと言う声が玄関から聞こえた。スーパーの買い物袋を台所に置く音がした。僕は振り向いておかえりと言うと、母は庭を見て絶句していた。今思えば当然の反応のように思う。何故自宅の庭にワニが居るのか。今の私だって想像も付かない。

翌朝、ワニは庭には居なかった。母は僕を怒らなかった。不思議と僕はワニの居ない庭をあるがままに受け入れた。

あの一週間に満たない僕とワニの日々に何の意味があったのか私には分からない。おそらく意味など無いのだろう。

私はワニと空き地で出会って、ワニは庭から居なくなった。それだけだ。


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