自己紹介①

読んでくれている方、ありがとう。

ひとまず、自己紹介から書いていこうと思います。長々書くのでよかったら。

 サダシと申します。33歳。神戸市在住。現在は主にKOBE16bitというライブハウスを主戦場にコントによるライブ活動をしています。

とまあ、SNSに書いている自己紹介はこんな感じです。ここではもう少し細かく。

1988年11月。現在の兵庫県丹波市「柏原病院」にてこの世に生を受ける。育ったのは現在の兵庫県西脇市黒田庄町(丹波市の隣)という人口が8000人ほどの町。

生まれた時には、曾祖母、祖父、祖母、父、母、兄、姉、と老若男女が全てそろい、また、知っている人も多いが、実家の家業が農家(牧場経営)という都会育ちの人にはなかなかびっくりされる環境で育った。

この家業の牧場というものが俺にとって最大の影響力を生み出す根源となる。これは悪い意味でも良い意味でもある。

牧場は、曽祖父が始めたと聞いている。その頃はどこの家庭にも牛がいて、田んぼを鋤く。(たんぼをすくって意味が解るだろうか?)重いもの運ぶ。といったトラクターや車の役割をはたしていた。そんな牛は当然、食料にもなる。それを食べる為に育て始めたのが曽祖父だったらしい。

気が付けば、牛が闊歩する牧場の中に立っていた。およそ3歳。働く父、母、なぜか兄と姉が牧場にいた記憶があまりない。気がつけば母の真似をし体に合わない大きな竹箒を持ち、掃除の真似。この頃の記憶は、牧場の中でも祖父が担当する部分(繁殖から飼育をする部分もあった。食べる為ではない種牛も育てていた。種を残すための雄牛。そして、雌牛もいて子牛を産ませる。)ここは大きな鉄のパイプの柵で囲われていて、自由に牛が歩き回っていた。鉄パイプの中には秋になるとよく蜂が巣を作っていた。兄が牧場で蜂に刺された時は爆笑した。多分、祖父が俺のこと溺愛して連れましていたのだろう。今の孫といる父と同じだとよく思う。

父が担当する方では牛の数は祖父の方より8倍~10倍程度おり、全てが子牛を買い、大人まで育てて(約2年半)売る。という流れの牧場だった。

10歳にもなれば、牧場の働き手としてそこそこ活躍していたと思う。当然子供だが、この、「記憶が芽生える前から牧場に連れ回す」という超英才教育を一心に受けて育った俺は、同い年の子供より背は高く、体重も重く、力も強かった。足はとてつもなく遅かったが。5歳から始めた柔道もあいまって、体力は大人と大して変わらなかったと思う。

10歳の小学校からの帰り道、通学路に落ちていた稲藁の束(牛の主食となる稲を乾燥させたもの)が束の結び方でウチの藁だと判断して担いで家まで持ち帰ったことがあった。大体10キロぐらいの重さ。

案の定、トラックから落としたらしい。

当時、うちの家は、牧場、田んぼ4つ、畑2つ、山の頂上までの半分。を所有していた。山には祖父が飲むお茶の葉っぱが植えてあり、たまに刈り取りにいく。当然、俺の出番は全てのフィールドにあった。しかしここでもあまり兄と姉は登場していなかった気がする。

掃除の仕方、箒の使い方、スコップの使い方、シートのたたみ方、牛のケツの拭き方、牛をなだめる時の「バーヤ、バーヤ」という謎の言葉の言い方、藁の括り方、トラックに積み込む時の順序、草刈り機の使い方、ショベルカーの運転、牛をくくって引っ張って連れて行く時のロープの引き方、藁を機械で切る時、機械に藁が詰まった時の藁の取り方、etc  etc   言いだしたらキリが無いほどいろんな事を祖父や父や母から学んだ。これが今では財産であるとも思うが、

俺は次第に牧場に行くのが嫌になっていく。

同級生が遊んで、家族と出かけていても、俺には家の手伝いがあった。うちの家には家族で旅行に行くというのがほぼなかった。小2の信州が最後。当然、生き物を相手にして休みなんて無い。

無論、家族旅行なんてそんな事すら無い。なんて人もいるだろう。けども


小学5年ぐらいだったか、友達数人と今日の夕方、グラウンドに集まる約束をした日、家に帰ると牧場に来いと電話が掛かってきた。約束があるから・・・と言いかけたが、播州弁でまくし立てられて渋々。。。

次の日から一週間ほど友達から無視された事があった。まあ、いまでもそいつらとは連んでいるような仲間でもあるが。


ここまで読んでわかるとも思うが、うちの家族の体温は高い。やる気、ガッツ、気合、熱い人が多い。声はでかい。飯は人よりも食う。酒も飲む。

牧場に行くのが嫌だと言うと、無理やり連れて行かれはしなかったが、行かないと怒るんだろうなと思いながら、渋々牧場へ向う事が多かった。


嫌な記憶も掃いて捨てる程多いが、俺は親父を尊敬している。正直言って、この兵庫県の中で畜産関係でウチの親父を知らない人はいない程の人である。一時は間違いなく、この兵庫県のトップにいた。つまり、あのオッサンはチャンピオンなのである。

俺はチャンピオンの息子なのである。

よく、おいしいお肉を食べて育ったんやね?と聞かれるが、正直言ってそうです。

俺ほどあの人が働いている後ろ姿を見ていた人間はいない。牛に播州弁で怒鳴っている姿を見たのも俺が一番多いだろう。

そして俺たち兄弟を見事大人になるまで育て上げた。

嫌な記憶と共に今の俺を育て上げたのは、あの牧場が大きく関わっている。








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