自己紹介②
読んでくれている人、ありがとう。
自己紹介②です。
ベタに子供のころから笑いが好きだった。でも、思い返すとテレビで見るお笑いが好きというよりも先に、母親が自分を見て笑ってくれている事が嬉しかったような気がする。どっちが先かはわからないけど。
昭和63年生まれ。普通の話だが、物心がつくとテレビの世界があった。
新喜劇、ごっつ、めちゃイケ、笑う犬、関西の昼にやってる漫才、M-1グランプリ、R-1グランプリ、すべらない話 etc
今思うと、見たもの全てに影響を受けていると思う。中学の時に見たM-1は特に強烈だった。俺はいつか漫才をしようとこの時思った。
同時に、周りにおもしろい人が多かったと思う。ありがたい。
前回も書いた通り、家族はもちろんのこと、兄の友達はいつもウチに集まって騒いでいた。
12歳程度の子供からすると、4つ上の兄貴達の会話はまるで別世界。
彼らの会話、起こった事、見たもの、家であった事件、家族のこと、親戚のこと、何から何まで、キャッチボールをしながら友達にモノマネを交えて話す。友達は(今でもだが)俺の話を聞いて笑う。笑ってくれることが嬉しい。だからまた話す。この繰り返しをしながら、中学高校と進んでいった気がする。
高校に入ったら、漫才の相方を見つけてそいつと3年の時には文化祭に出て大爆笑をとる。これが俺の誰にも言わなかった高校入学時のテーマだった。
高校野球を終えてから真剣におもしろい奴を口説いた。
なぜかたまたまいたおもしろい奴が二人共自分と同じクラスだった。とても対照的な二人で、まさに陰と陽の二人だった。結局、陽君と漫才をしたのだが、これが結構ウケた。人生で感じたことの無いような強烈な快感。大勢の人間が一斉に笑うというエネルギーはとてつもない。
卒業したら、お笑い養成所に入ろうと考えていたが、当然親からは却下される。紆余曲折を経て、お金もないし働きながらどうしようかと考えていた、漫才をするならアイツしかいないと思い、陰君を誘った。陰君も働いていて誘いに乗ってくれた。でも漫才をどこでやればいいのか。と考えた時に、兄貴の友達が地元にいながら神戸や大阪で音楽のライブをしていた。その人に話をすると、「単独ライブをするから、合間で漫才するか?」と言ってくれた。
初舞台であんなに大きなステージでお客さんがいっぱいの所に立てるとは、今考えると周りに感謝しかない。
結果は散々なものだったが、それが初舞台となった。
ここから今の形に繋がっていく。
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