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25メートル田んぼ : 日記

25メートル田んぼ

 田んぼをカモが泳いでたんだけど、ずらっと植えられた苗のあいだの

↑このルートを律儀に通っていて面白かった。市民プールみたいで。

接写

 なんか疲れてたので、めっちゃ近い電柱の写真撮ってた。

 なんかの断面みたい。

初カキコ…ども選手権

 以前オモコロの記事でやっていた「初カキコ…ども選手権」が好きでたまに自分でもやってしまう。

 これは過去の2chに投稿された有名なコピペをどの程度記憶しているか試すという、たったそれだけの遊び。

初カキコ…ども…

俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは

今日のクラスの会話
あの流行りの曲かっこいい とか あの服ほしい とか
ま、それが普通ですわな

かたや俺は電子の砂漠で死体を見て、呟くんすわ
it’a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。

好きな音楽 eminem
尊敬する人間 アドルフ・ヒトラー(虐殺行為はNO)

なんつってる間に4時っすよ(笑) あ~あ、義務教育の辛いとこね、これ

 以下が実際にやってみたやつ。

 初カキコ…ども。
 こんな時間に中三でグロ見てる腐れ野郎、他にいますか…っていねーか、はは。

 今日のクラスの会話、
 好きな芸能人とか、服がどうとか。
 ま、それが普通ですわな。

 対し俺は電子の砂漠でつぶやくんすわ。
 Is't a true wolrd.
 狂ってる?それ、褒め言葉ね。

 好きな音楽、エミネム
 好きな人間、アドルフ・ヒトラー(ただし虐殺はNO)

 それでは俺は電子の砂漠に帰ります。

 今回の文章一致度は62.5Pt。結構合っていたと思うが、漢字ひらがな表記やラストの一文をしっかり取りこぼしたこと、そして句読点と段落ごとの一文字下げを無駄に追加してしまったのが痛かった。
 句読点に関しては、よく見ると本物のほうは

「あの流行りの曲かっこいい とか あの服ほしい とか」

 に見られるように、読点の代わりに一マス開ける方法を用いている。
 細部までもっとちゃんと見ないといけないなと反省した。

 メリットはない。

 日を浴びて寝る猫。

 数日前の写真。かわいい。

具体性のない不幸

 以前ダ・ヴィンチ・恐山が日記の中で紹介していた、

 少しずつ存在をしてゆきたいね
 なにかしら尊いものとして

歌集「えーえんとくちから」より

 という歌の良さが日を追うごとに自分の中で醸されていく。ちょっと現代短歌に興味まで出てくるくらい。
 そしてこの歌についての恐山の言葉もまたいい。

「ある」ということ自体への感度がとてつもない。私がいて、ものがあって、世界が構成されている。その圧倒的な具体性に打ちのめされて傷つきながらも、自分を含めた世界を愛そうと懸命に格闘しているような短歌だ。内容を伴わないつらさに、内容を伴わない愛で対抗しているというか。

2023年1月30日の日記より

 ここで恐山は「具体性に傷つく」ような人間の「内容を伴わないつらさ」に着眼している。私は特にここが好きで、だからこそ「少しずつ存在〜」の歌はなんとなく恐山の言葉と相まってより印象に残っている。
 心が鋭利な人はきっと精神の裡に名前のない抽象的な不幸を飼っていて、向き合おうと逃げ出そうと、必ずその不幸から自由ではいられないんだと思う。そういう全てについての。
 
・少し論旨がずれるかもしれないが、「人間失格」という小説は、入水やら酒や薬やら、そして結末も含めてその悲劇は具体性を持つようにも見える。しかし結局のところ突き詰めればこれも抽象的な不幸に由来するのだろう。

 勝手な分別だが、幸福は具体的かつ能動的な代物だ。
 そして不幸は抽象的かつ受動的だ。
 幸福とは自ら進んで得る努力をした上で具体的な「ある状態」に身を置くことであると思うが、不幸というのはなにもしなくてもやってくるし、なにもしていなくたって人間は不幸だしなんなら生きること自体不幸だ。異論は認める。

 ともあれことに長く抽象的な不幸と共にあれば、かえってその不幸に具体性を持たせようとするのもまた自然な心の動きだろう。
 人間失格の主人公の破滅願望も、名前のない不幸に「破滅」という具体性を持たせようとしたがゆえのものではないだろうか。具体性に傷つくよう人間だからこそ、あえてその具体性の暴力に身を委ねるというか。でも本当の不幸はもっとずっと形がないものだ。

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