2022年9月4日、noteのdmから、

他人と比較する事の同調圧力、というものがあると思う、

それは平均、統計学、としての安心要素、普通、という言葉に書き換えられた大多数の考え方、売れているから買う、

売れているからこれで安心、それが村上春樹的な感じ、

大いに結構だと思います。が、その中でも、それに足りないもの、というものが世の中には有り、売れている売れていないを別にして存在している事で、辛うじて成立しているのが毎日なんだろうと思われる、

思うのではなく、思われる、という言葉の使い方、曖昧で中庸的、最近嵌っているんです、曖昧で中庸的な物言い、真綿で首を絞めるような、いわさきちひろ評のような、薄めた香水のような、ジャズ風味のような、生バンドではなく録音芸術のような、

それらの曖昧さによって成立する中にも、僅かな差、がその人の心の中では、違うんだけど、、、という余韻がいつの間にかダメなものに仕上がり、その仕上がり具合も人それぞれ、という突き放した言い方、にしたいんだけれども、

積み重なって、年の割に恥ずかしいという考え方に到着する事は、その中庸性や、普通、という言葉にある毒性のようなもの、、、、というべきか、ある組織が作成した統計というもの、

その組織が自民か共産かでその統計は変わるし、立憲であれ今どの議員が判断したのか!?、で、変わる、

毎日は色々と家事や仕事があるから、そんな流れ、情勢を把握し続ける事は不可能なんだと思う、それがフツーや中庸であって、男とも女とも取れない、オカマ枠、と受け取っている、

そのオカマ枠という、言葉を使う事で、あぁ〜そうよねぇ〜という日出郎さん的な物言い、いいとこ取りのニュアンスだけを切り取った寛大さ、と拡大解釈していると、

中庸性に酔いしれている、無印良品に安堵している人特有の気づかないうちに吸収している毒を感じる、

無印良品のお菓子の多くにはマーガリンが使われているし、白い砂糖は血管壊すし、クロム鞣は!?だが、タンニン鞣し出会ってもどんな生産や使い方によっては、、、そもそもビーガンじゃないしね、

だなんていう皮肉を思ってしまう、

無印良品はステイタス、ブランドというか、オール無印で揃える事なんて出来ないであろう、

そんな中庸性を売りに、使えるだろう、買うだろう、で揃えられた物達も、環境であれ、精神を蝕んでゆくのだ、

今回の記事はそんな、蝕み、それらを乗り越える再生の過程が、その著名ではない個人の感情を持って、整理整頓された記事、になっているが、

私には、当たり前すぎるというか、、、再認識なんだけれども、なんというか、、、周りは大きなオウチに住んでいたり、オシャレな調度を揃えている事による僻み、その僻みの原因は、、、、と振り返れば、作者の踏ん切りの悪さん、にあると思う、

踏ん切りや往生際の悪さ、がそれらの原因で、、、自営業をしているのであれば、往生際の悪さ、フツーという観点をさっさと捨てて、そういう年収ややフツーの幸せは手に入らなかったかもしれないが

自営業とか個人でやっている人って、何かしらの底意地の悪さ、というものが必要、というか意地悪さが共通している気がする、

その意地悪さを隠すように、普通ーという仮面を被るというか、言葉遣いや身なりを無印程度で整えると好感度がいいですよ、的なものを感じる、


なので、このデスクぐらいで人生につまづいて再生してんじゃねぇよ、というその小さな世界にケッ、と思うんだけども、その小さな世界と他人を蔑む私、という生き物に今度はぶつかってくる、突入し比較仕手仕舞う、

そう、その人の過程は個人差がある、個人差のある過程に他人が言及する事は、ダサい、

ダサい、そう、ダサい、という世界に、俺だったら、という過程を私もこの記事は通過させ、原点に戻らせ、そうそう、過程は人それぞれ、という、きてはいたけど、実感はしていなかったよね、忘れてたよね、すぐに出てこないから染み込んでたよね、を、

他人の文章読み、それを読み捨てるのではなく、気に留め打ち返す、というノートの紹介機能を別の意味で活用し、文字力や日常生活に生かそう、と思っているのだけど、

実っているかは不明である、実っているかは不明だし、文章を書くのにはある程度の時間が必要で、それを読み返し書き直す、というのがすんなり行くときもあればそうでもない人もあり、、、、1日に書ける文章は決まっている気がする、

なんか山田詠美が宇野千代だったか、原稿は1日に3枚と決めているとか、それ以降に書くと筆が滑る、という事を言っていたが、筆が滑る、というのは本当の事で、筆が滑る人、それは私の事なんだけれども、結構滑りまくって収集がつかない時がある、

滑っている文章を楽しむ事もあり、工芸作家が大会で応募から審査員になって筆が滑った展評を書いている時、筆が滑る、というのも魅力で、むしろそ滑る技術、滑り芸、というお笑いのように滑るやズッコケという技、奥義、

とはいえど、こんな整理整頓され、掃除がゆきとどいた肌色の世界、、、は私は好かない、なんか絵を額装すれば、とか花ぐらい飾れば、、、と思う、

むしろ、普段は汚くてnoteでウケる為に、編集者に媚を売り、こういう世界を作り投稿したんじゃねぇの、という虚像を思ったり、

やっぱり好かない、底意地の悪さ、が足りない気がする、これをdmで送ってくるノートの編集部はダサいと思う、が、ノートの活用も千差満別であろうし、この前ツイッターをまた辞めた東浩紀さんが、俺は壷ではない(統一教会とは無関係です)とか、香川照之のゴシップツイートを2年前から有料でノートしてた銀座の元ママばかりがノートじゃないしねぇ、、、

ノートの編集部は特集を組む時、そういう世俗的に下衆なんだけれども、ノートで売れてる人のピックアップ紹介とかはしない、多分ブランドイメージ
なんだと思うが、ノート編集部の方針はそれであれど(表現の自由としての中庸)、私の一方的な編集の人って、水道橋博士や能町みね子を常にヲッチングしている人、という妄想が出来ている、

そんで持ってピックアップ記事に恥ずかしいと思っていた小さな机、を持って来つつ、、、、小さな机であれど必要なものが揃っているからいいんじゃね、ってか森茉莉とか部屋はグチャグチャ原稿書く時は原稿用紙を二枚に折り畳んで膝の上で書いてた、とかを思い出すと、本当に人の考えは様々で、、、、森茉莉みたいな生活環境(鷗外の娘なんだけど後に貧困)であっても、無限にロマンテックな世界に連れてく御話を作れるとか、、、

作者はそういうの、、、そういう世界に漕ぎ出す小さくて大きな船、、、を教えてくれるというか、、、、

出て来た内容があまりにも私にとって、ノーマル過ぎるて面白くない、けどそのノーマルさだけに、いろいろトンデモナイヒトをトッピングしても、ってかトッピングしたくなる、

やはりこの記事、毒性のない気がする、隠れた毒、劇薬、猛毒、アルカリか酸性、どちらかにして、と思いつつ、やっぱそういうものを連動して入れたくなる感じ、、、、益々自分で自分の事が好きなんだね、と私も、
これを書いた作者も、

人間の尊厳とは承認欲求を経た自己愛、なんだと認識を高めていますッ!、


テキスタイルを活用した衣類の製造販売。 minne bace hands creema iichi 催事等で販売。 フツーに着れない系が得意、フツーに着れるものも作っているつもり。 三つ子の魂百迄。心に無い事しない。無責任で上から目線の先輩後輩ごっこ御断り。自由度が高い生き方。