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セクシー・バス・ストップ

1976(昭和51)年3月、Dr.ドラゴン&オリエンタル・エクスプレスのシングル「セクシー・バス・ストップ」がリリースされた。このインスト曲に歌詞がついた浅野ゆうこがカヴァーしたシングルが、翌月にリリースされる。当時、テレビで歌う彼女の姿は今でも記憶に残る。それから長い間ずっと、このナンバーは洋楽のオリジナルで、ニッポン語がつけられた輸入ポップスと思っていた。しかし、ひょんなことからそうではない事を知った。作曲者としてクレジットされたJack Diamondこと筒美京平が、当時セレクトしたミュージシャンで結成された覆面バンド、そこには、林立夫、鈴木茂、後藤次利、矢野顕子等が参加していた。

Dr.ドラゴン&オリエンタル・エクスプレス。カンフー映画の時代、どこか東洋の匂いを漂って来る。そのコンセプトは、当時フィラデルフィアサウンドを支えていたバンド「MFSB (Mother Father Sister Brother)」のニッポン版を目指せだった。1971(昭和46)年に放送が始まった米国のダンス音楽番組「ソウルトレイン」で彼等の「TSOP(The Sound Of Firaderfia)」がテーマ曲に採用され、1974(昭和49)年に大ヒットとなった。ペンシルベニア州フィラデルフィアにあるシグマサウンドスタジオで演奏していた、スタジオミュージシャンから結成されたオーケストラ形態のバンドがMFSBだった。

1975(昭和50)年11月、ビクター洋楽宣伝部の本多慧が「アメリカでは“バス・ストップ”というステップが流行り始めたが、ニッポンではそれを踊れる曲が無い。だからニッポンで踊れる曲を作ってしまおう」と考案し「セクシー・バス・ストップ」が制作された。ダンスの歴史は、ステップの歴史である。バス・ストップというステップは、YouTubeで見ると、膝を前に出す特徴があり、そこに手のフリを加えると、ハッスルハッスルに近いとインストラクターが説明する。少し凝ってみようなら、地面に斜めに向かって手を動かすとよいと勧める、それはどこか安木節のどじょうをすくっている様で、ちょっと面白い。

1976(昭和51)年1月、ニューヨークのルーズベルトホテルで行われたビルボード誌主催の「国際ディスコ会議」に「セクシー…」が出品され好評を博した。 ちなみに、長崎県佐世保市出身で前川清の同級生の平浩二が歌って大ヒットした「バス・ストップ」がリリースされたのは、その4年前の1972(昭和47)年だった。渋谷駅東口が舞台のこのナンバーは、ステップとは無縁である。また、1954(昭和29)年8月にリリースされた春日八郎のヒット曲「お富さん」が、ディスコブームに乗って「ディスコお富さん」としてカヴァーされるのは、それから2年後の1978(昭和53)年11月のことになる。

人気テレビ番組「ソウルトレイン」の起源は1965(昭和40)年まで遡る。イリノイ州シカゴのテレビ局WCIU-TVが放送した若者向けのダンス番組が放送開始され、アフリカ系米国人のアーティストが出演する番組がそのオリジナルという。この時、DJを務めたのがドンコーネリアスで、彼が「ソウルトレイン」の初代司会者を務めた。同番組は、2006(平成18)年まで35年間続く長寿番組となった。

奇しくも同年4月、 Dr.ドラゴン&オリエンタル・エクスプレスのアルバム「 THE BIRTH OF A DRAGON +4」がCD版され、30年ぶりに復刻された。ロールパンにビーフとチーズが挟まれたフィリードッグが、有名な米国発祥の地フィラデルフィア。そのフィリーソウルを意識したサウンドの完成度は、筒美京平のソロワークの一つとして初めて聴くことになった。”トレイン”ではなく”エクスプレス”を目指した、改めて感心させられる名盤である。2012(平成24)年、「ソウルトレイン」の初代司会者のドンは、拳銃自殺で亡くなっている。

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