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元祖アイドルからの、音故知新

シンシア 1978年

1978年7月、シンシアは学業専念のため歌手活動にピリオドを打つことを突如発表し、その日を機に慌ただしい年になった。資生堂・春のキャンペーンソングでタイアップの「春の予感 -I’ve been mellow-」は、前作の丸山圭子に続く女性シンガー・ソングライターの尾崎亜美が編曲まで関わり、1月にリリースされた。資生堂は、テレビ放送開始以来その宣伝効果を大いに利用し、この頃はミュージシャンを起用したCMソングが盛んだった。多感な時期だった筆者のみならず、この頃は誰もが日常のテレビから流れるポップスに洗脳される時代だった。前年、同じくタイアップの「マイ・ピュア・レディ」がヒットした尾崎の起用は制作側の手応えが伺えよう。11月、杏里が歌った尾崎の名曲「オリビアを聴きながら」がリリースされている。「春の予感」のサブタイトルは、1975年1月にリリースされたオリビア・ニュートン=ジョンの「そよ風の誘惑(原題:Have You Never Been Mellow?)」のアンサーソングと思われる。余談であるが、シンシアに楽曲を提供した五大洋光こと矢沢永吉がブレークするのは、同年夏のキャンペーンソング「時間よ止まれ」だった。5月、シングル「愛なき世代」がリリースされた。博多のライブハウス「照和」出身NOVAのリーダー、木戸一成の楽曲で、歌詞は松本隆が提供していた。「照和」出身で思い出すのが、チューリップのシングル「夏色のおもいで」。財津和夫の原曲「風の涙」の歌詞を松本隆が塗り替えて、職業作詞家とデビューした逸話を。この曲のヒットで、筒美京平が松本に接近したという逸話も。チューリップの「心の旅」も合わせて、シンシアの「ひとかけらの純情」を聴き直すと面白い。編曲の川村栄二はネム音楽院でギター講師やっていたヤマハ所属のミュージシャンだった。筒美サウンドは今まで挙げてきたヤマハ出身者の才能によって分業され磨かれて来たことが伺える。

6月、前述のシングルを収録したアルバム「I've been mellow」がリリースされた。作詞はシングルを除くと、松任谷由美、竜真知子、中里綴。作曲には原田良一、梅垣達志、都倉俊一。編曲は馬飼野康二、川村栄二が担当した。新たにクレジットされた原田氏はジャズ出身のミュージシャンで、ロカビリーバンド「スイングウェスト」のリーダーを務め、その後作曲家となっていた。ロカビリーブームに発足した「スイングウェスト」の初代リーダーは、「ホリプロ」創業者、堀威夫だった。ミュージシャンがアイドルを売り出すビジネスに転身する時代になっていた。多種多様な楽曲の中、注目すべきはB面4曲目「ジョーのコンサート」であろう。ライブステージの雰囲気から始まる楽曲は、思わず聴き耳を立ててしまう。そうして今まで聴いたことがなかったシンシアのロックが展開される。時代の要請だったのであろうか、そのシャウトに違和感を感じながらも聴き入ってしまう。ライブ感のあるバンドサウンドも激しいが、このジョーは一体誰のことなのだろうか。作詞の竜は矢沢ファミリーの後、NOBODYとして活躍する相沢行夫だ。アルバムの最後はタイトルナンバー「春の予感」で締めくくられる。いま聴いても古さを感じないタイムレスなサウンド。“春の予感そんな気分”のあとに “時を止めてしまえば”と続くフレーズが“罪な奴さ”とつながっている様だ。

1978年、シングル4枚、アルバム5枚リリース。
1月  シングル「春の予感 -I’ve been mellow-/もどかしい夢(尾崎亜美)」
5月  シングル「愛なき世代(松本隆/木戸一成/川村栄二)/九月のエピソード(竜真知子/馬飼野康二)」
6月  アルバム「I’ve been mellow」
6月  アルバム「THE BEST / 南沙織 -1978年6月版-」
8月  シングル「Ms.(有馬三恵子/筒美京平)/さよならにかえて(有馬/筒美/大村雅朗)」
10月 アルバム「Simplicity」
10月 シングル「グッバイガール/Good-bye Girl(中里綴/D .Gates/川村栄二)」
11月 アルバム「THE BEST / 南沙織 -1978年11月版-」
12月 ライヴアルバム「さよならシンシア」

8月、引退発表直後、デビュー曲のコンビ有馬/筒美によるシングル「Ms./さよならにかえて」がリリースされた。A面はシンシアを年代毎に見つめてきた有馬の到達点として「Ms.(ミズ)」と題された。B面「さよならにかえて」はシンシアのメッセージを有馬が歌詞にしたためた。編曲はこの年プロの編曲家として活動を開始したヤマハ音楽振興会の出身、大村雅朗。9月にリリースされた八神純子の「みずいろの雨」が出世作となった。1986年にリリースされる中山美穂の「ツイてるねノッてるね」は、松本隆/筒美のゴールデンコンビの楽曲だが、編曲は大村とヤマハの先輩、船山との共作になる。10月、ラストシングルが収録された最後のオリジナルアルバム「Simplicity」がリリースされた。シンシアが提案したそのタイトルにはどう言う意味が込められていたのだろうか。A面はオリジナルで萩田、B面は洋楽のカヴァーで川村が編曲を分担した。これは、例外はあるもののデビューから一貫して通してきた構成だ。収録曲で注目はA面の「しなやかなケ・ダ・モ・ノ」。ダンスミュージックが全盛のこの頃、ディスコサウンドを取り入れていながら難解なコードが突如現れプロならではの遊び心を感じる。B面は当時の洋画のサントラやポップスが取り入れられている。1978年に公開された映画「グリース」からは、ホットナンバーが2曲ピックアップされている。ここでもシンシアの歌唱力に改めて驚かされる。アルバムを通して思うのは、南沙織というアイドルの邦楽ポップスを切り拓いて来た顔と、シンシアというリアルタイムの洋楽ポップスを歌うシンガーとしての顔、両面を意識していたということ。同月、調布市市民会館にてラストステージ「さよならコンサート」が開催され、デビューから7年間の歌手活動にピリオドを打った。

ライヴアルバム「さよならシンシア」収録曲
『題名(邦題)』作詞(訳詞)/作曲/編曲
1.『グッバイガール』デヴィッド・ゲイツ(中里綴)/同左
オリジナル:デヴィッド・ゲイツ(1977年)
2.『懐かしい日々』有馬三恵子/荒川達彦
3.『17才』有馬/筒美京平
4.『潮風のメロディ』有馬/筒美
5.『純潔』有馬/筒美
6.『哀愁のページ』有馬/筒美
7.『傷つく世代』有馬/筒美
8.『色づく街』有馬/筒美
9.『ひとかけらの純情』有馬/筒美
10.『女性』有馬/筒美
11.『思い出通り』有馬/筒美
12.『人恋しくて』中里綴/田山雅充
13.『六本木』有馬/川口真
14.『ひとねむり』落合恵子/筒美 
15.『哀しい妖精』松本隆/ジャニス・イアン
16.『ゆれる午後』有馬/筒美
17.『街角のラブソング』つのだ☆ひろ
18.『魚たちはどこへ』有馬/筒美
19.『Tea for two(二人でお茶を)』アーヴィング・シーザー/ヴィンセント・ユーマンス
オリジナル:ドリス・デイ&ゴードン・マックレー(1950年)
20.『青春に恥じないように』荒井由実/川口
21.『春の予感 -I’ve been mellow-』尾崎亜美
22.『Ms.(ミズ)』有馬/筒美
23.『GIVE YOUR BEST』バリー・ギブ、モーリス・ギブ、ロビン・ギブ
オリジナル:ビージーズ(1971年)
24.『私の出発』有馬/筒美
25.『17才』有馬/筒美

ステージの最後に、シンシアは今まで自分を支えてくれた人達にそれぞれ謝意を述べている。その場に駆けつけた有馬三恵子を、オリジナル曲の殆どを書いてもらったと作詞家として紹介している。オリジナルナンバーは、シンシアのその時々の心境がその詞に込められて来たことが伺える。洋楽ポップスのピックアップにもメロディーと歌詞にも共感していることを語っている。そうして最後の最後に、「お疲れ様」と言いたい人がいると前置き、しばらく感慨無量となる。それは、7年間歌手として走り続けた南沙織へであった。

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