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コンプレックスシティ

 この地の風景を目にしていると何も言えなくなってしまう―。
先週書いたのはそんなことでした。そして、いわきでの生活が丸1年となろうとしている今、この「何も言えなさ」が、実は震災や原発事故に端を発したものではないような気がしてきたのです

 時は明治初期の戊辰戦争までさかのぼります。現在のいわき市のエリアは奥羽越列藩同盟の最前線にあたり、激戦が繰り広げられた地で、多くの戦死者を出したと聞きます。一方で、現在の市域の中には新政府軍側の領地もあったそうで、戦後の軋れきがなかなか消えなかったと言う話も聞きました。
 また、現在のいわき市は14もの市町村が合併してできた自治体です。石炭産業衰退のリカバリーを目的に、国の特区制度を利用した合併を行ったそうですが、やはりその構図には相当な無理があったのだと思います。移住者の僕でさえ、合併から50年経った現在でも地域間の溝を肌身で感じることがあります。
 そして、10年前の東日本大震災。「抗うことのできないもの」が何度もこの地に作用し、そのたびに「何も言えなさ」が加速していっているようで―。

 1年間この地で暮らす中で、僕がいわきに抱いた印象…、それが「コンプレックスシティ」です。一方、僕はいつしかそんないわきに自分を見るような感覚にもなっていきました。

コウノヤ管理人・中之作)

<いわき民報・2月24日付『くらし随筆』>

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