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ただここにいるよ

自宅を開放して、子どもたちの居場所になろうと思ったのは6年前。

それまでも、長男、次男、長女と、それぞれの小学校時代、我が家は子供たちのたまり場のようでした。

わが子の友達が、我が家に集まり、自由に遊んでいく。

それは、今と何も変わらないことでした。

昔と違うところは、息子の同級生が遊びに来ることもあるけれど、学年の違う子、学校の違う子が来るようになったこと。

上の子たちの時から子供たちを見ていて感じていたのは、自由に遊べる場所が少ないこと。周りの大人の、寛容に見守る目が少ないことでした。

なら、うちがその居場所になろうと思ったのです。

そうはいっても、やると決めただけで、誰にも「うちが居場所をオープンしたよ」というようなことを言ったことはないんだけど、上の子たちの友達が遊びに来ていた頃、その友達の弟や妹が一緒に遊びについてきてたりすることがあって、その弟や妹が4年生ぐらいになったときに、ふらりと我が家に遊びに来る、というようなことが続いていました。

そうやって途切れず遊びに来てくれる近所の子に、当時3歳だった末っ子はよく遊んでもらっていました。

そして、居場所をやると決めて、準備をし始めたところで、衝撃的な悪ガキたちとの出会いがありました。

これは、「悪ガキたちの秘密基地」という本にも書いてあるので、彼らとの濃厚なやり取りの日々は、そちらを手にとって読んでみてもらえたらなと思います。

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彼らと日々対峙していて気が付いたのは、一般的に「問題のある子」は、問題を抱えるだけの理由があるという事でした。

家庭環境や、学校での扱い、いろんな場面で彼らは認めてもらっていなかったようなのです。

彼らの存在自体を認めてもらえていない。

彼らは悪ガキです。

「さみしい」なんて、かっこ悪いこと、絶対口にはしません。

いつでも悪ぶって、注目をひきたがります。

でも、心の中にある「認めてほしい」という声が、私には聞こえたのです。

3歳の末っ子に対して、

「おまえはいいな~。」

「おまえはいつも甘えすぎだぞ」

「おかあさん、子どもを甘やかしすぎだ」

「おれ、こんなに甘えたことないぞ」

そんな言葉を投げかけるのです。

3歳の子供を甘やかすのは当たり前です。

でも、彼らには甘えすぎだと見えた。

それは、彼らが甘えてこなかったということではないかと。

甘えられなかった事情がそれぞれにあったのだと思います。

写真の、おんぶされてるのはスネ夫。ブランコで遊んでいるのは末っ子。

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彼らと出会ったおかげで、それまで、乱暴な子は、いやな子だと思っていました。

いうこと聞かない子や、物を壊したりするような子は、しつけがなってないとすら思いました。来ないでほしいとも思いました。

でも、彼らと出会ったおかげで、そういう子たちこそ、実は「困っている子」だと知りました。

怒りのコントロールの仕方を知らない。

怒りは暴力で表すものだとしか知らなかった。

ウソをつくことでしか自分を守ってこれなかった。

「どうしてそんなこともわからないのか」「やられた人の気持ちになってみろ」というような言葉で怒られても、彼らには想像できなかった。やりたいからやった。ただそれだけだった。

具体的にどうしたらいいのかがわからなかった。

そういう事ではないのだろうか?

そんな彼らの存在を受け入れていくことで、彼らは変わっていきました。

そして、思いました。

「そのまんま、丸ごと受け入れたらいいんだ」と。

それは、その後出会った子ども達、どの子を見ても、多かれ少なかれ同じことが言えました。

みんな受け入れてほしがっていました。

認めてもらいたがっていました。

話を聞いて欲しがっていました。

ただ誰かにそばにいて欲しがっていました。


居場所をやり始めた後から、出張プレーパークも始めました。

子ども達に自由に遊んでもらうのです。

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そのスタンスは、我が家で子供たちを受け入れるスタンスと同じでした。


「子どもが望むような大人でいること」


「みてみて!」と言ったらすぐにみてくれる人。

くだらない話も、「へ~!そうなんだ~!」と、笑ってくれる人。

自分が話したいことをとことん聞いてくれる人。

あれをやりなさいこれをやりなさいと言わずに、ただ笑顔でそこにいてくれる人。

困ったときに助けてと言える人。

やりたいことがあるなら、やっていいよと言ってくれる人。

やるのが難しいときは、やれる方法を一緒に考えてくれる人。


こういうスタンスでいようと心がけていたわけではないけれど、子どもたちが何を望んでいるんだろう?って子どもたちの言動に注意を向け続けている中で、こういう関わり方が、子どもにとって心地いいんだなと気が付きました。

指図したり、禁止したり、否定したりは、できるだけしないように心掛けました。

禁止しなくてもいいように場を整えました。

泥遊びで汚れると怒られるという子には、着替えを用意しました。我が家の服を着て泥遊びして、帰る時には我が家でもとの服に着替えて、何食わぬ顔で家に帰れるようにしました。

でも、はじめはうちの服を借りて泥遊びしてた子も、毎度借りるのが悪いと思うのか、そのうち、初めからパンいちで泥遊びするようになりました。

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冬の雪遊びの時には、スキーズボンや手袋など、おさがりのものを捨てずにとっておいて、必要な子には貸してあげるようにしました。装備が万全だと、氷点下でもへっちゃらです。

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騒いでうるさくなって、ご近所に迷惑になりそうなときは、広い公園や野っぱらや、川や田んぼに連れ出し、文字通り野に放ちました。

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子どもは野に放つのが一番です。


子どもは、基本やりたいことがやれることが一番です。

塾や習い事で、遊ぶ時間がないと嘆く子。

早く帰ってきなさいと言われてる子。

遊ぶ範囲が決められている子。

それぞれの決められた枠の中で、それでも、めいいっぱい遊びたい。

楽しみたい。湧き上がるエネルギーを発散したい。

大人は、できるだけそれを邪魔しないように、ただ、そこにいるだけでいいんだと思います。

助けてほしいと言ってきたときに、サポートできるように、そこにいる。

必要としたとき、手を差し伸べてあげられる距離感でそこにいること。

あれもこれもと手出し口出ししないで、ただ子供があるがままを受け入れて、やりたいことがかなえられる方法をみつける。

それだけで、子どもたちは本当に生き生きしてきます。

彼らの輝きを奪いたくない。




読んでいただき、ありがとうございました!お話しに共感していただいて、子ども達の居場所のために、ほんの少しでもサポートしていただけたらとってもとっても嬉しいです。これからもよろしくお願いいたします。