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ヴァージンVSにたどり着くまで 20


ヴァージンVSにたどり着くまで 20
 
~1972年4月~8月 私がウエストロードを去るまでのコンサート記録を中心に 8~
 
前回は1972年7月30日の名古屋でのコンサートの後東京へ行き、妹尾先輩と渋谷ジャンジャンでセッションしたところまででした。
その日は妹尾先輩が借りていた大森の一軒家に泊めてもらいました。
古い家でしたが、色々な方々が出入りしており、誰が本当の住人かよくわかりません。
この一軒家で、後日「都落ち」のケンちゃんと一緒に泊まり、めったにない出来事に遭遇しますが、それはもう少し後に書きましょう。
 
翌朝、関西まで帰るのに、その一軒家の住人の1人であるトラックドライバーの方が運転するトラックに同乗させてもらうことになり、朝早く、大森からトラックが置いてある神奈川県の寒川まで向かいました。
今でこそ私は神奈川県の住人なので寒川がどのあたりかよくわかりますが、当時はさっぱりわからず、茅ケ崎まで東海道線で行き、そこから単線の相模線に乗って寒川まで、えらい遠いところだと思いました。
そのドライバーの方は新車のトラックを陸送する仕事で、確かいすゞ自動車のトラックの新車がおいてあるところへ行きました。
新車なので汚すと大変です。
当時はタバコを吸っていましたので(今も吸っていますが・・・)、タバコは外に捨てるように言われました。タバコの投げ捨てが当たり前だった時代ですので、どんどん投げ捨てて関西へ向かいます。えらいスンマセン。
 
寒川を出発し茅ケ崎へ。今なら、あれ、厚木から東名に乗らんのですか?と疑問におもうところですが、そのころは今どこにいるかもわからないので、乗せられたままに進みます。
茅ケ崎から1号線へ、そうです、高速には乗らず下道を関西まで走るのです!!
それがどれだけ時間がかかるのか当時は知る由もない。
 
箱根の途中で朝ごはん。
そのドライバーの方はいつも立ち寄るお店らしく顔なじみです。
当時私は超長髪だったので、店のおばちゃんはそのドライバーの方が彼女を連れてきたと思ったようでした。
ここで私は「トロロ定食」を食べました。なんでこんなことを覚えているのか不思議ですが、山の中だから、やっぱりここはトロロだろうと思ったのでしょう。
 
そんなこんなで、結局関西に着いたのは、次の日の早朝でした。
途中、ドライバーの方は仮眠をするので、たぶん鈴鹿山中だったと思いますが、「1時間たったら起こして」と言われました。
「了解!」と言って車外に出ましたが、当時の私は時計というものを持っていなかった。
止まっているのはドライブインのようなところではなく、道路のちょっと凹んだ真っ暗なところ。
こいつは困った!どうやって時間を計ろうかと考えました。
ドライバーに時計貸してと言えばよいのに、すでに寝入っているようなので、気の弱い私はそれも言えない。
そこで考えたのは、タバコ1本吸うのを5分として、その間に何台の車が通過するのか数え、それを基本に1時間を割り出すという画期的な方法です。
しかし、この方法には2か所脆弱なところがある。
そもそも、タバコ1本吸うのを5分と決めた根拠は何か?
吸引力の強い人は1分かもしれない、人によってずいぶん違う。
自分のタバコの喫煙時間の平均を計ったこともないのに、5分とは?
では、そこで検証してみればよいではないかと思っても、時計がないので検証できない。
そもそも時計があればこんな方法をとる必要がない。
また、いくら1号線と言っても夜中なので通行量に粗密がある。
5分間での通行量は平均していない、ということです。
しかしこの方法をとるしかないと思い、1時間を計測しました。
1時間経過したところでドライバーの方を起こしましたが、「え~っ、もう1時間たったの?おかしいなぁ~」とおっしゃっていましたので、たぶん30分ぐらいだったのかもしれません。申し訳ございませんでした。
 
京都からは1号線を離れ西国街道に入ったため、箕面あたりで降ろしてもらい阪急電車で宝塚へ帰った次第です。
 
このドライバーの方は妹尾先輩が当時作っていた「日本ブルース振興会」(?)の会員ということでしたが、ご当人は「本当はニニ・ロッソとかが好きなんだけど・・・」とおっしゃっていました。
ブルースとニニ・ロッソはずいぶん乖離しているようですが、音楽には違いなしというところでしょうか。


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