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ヴァージンVSにたどり着くまで 19

ヴァージンVSにたどり着くまで 19

~1972年4月~8月 私がウエストロードを去るまでのコンサート記録を中心に 7~

本日は1972年7月30日の名古屋大学「Boom Boomコンサート」です。
朝9時30分の名神高速バスに乗ったと書いてありますが、名古屋駅からどうやって名古屋大学まで行ったのかさっぱり覚えていません。
このコンサートでは確か「カルメン・マキ&OZ」が一緒に出ていたと思いますが、チラッとしか見ていなかったので、これもまたよく覚えていない。ウ~ン、今にして思えば大変もったいない残念なことをしました。
でも春日氏はギブソンの335のようなセミアコのギターを弾いていたような気がするが、違ったかな?今度機会があったら聞いてみよう。
ウエストロードを脱退するのが目前に迫っているので、そのことに気がとられていたのかもしれません。
今も昔も気の小さい久保田です、背も小さいが・・・・

用意していた曲は9曲あったのに演奏したのは5曲だけだったようです。
時間の関係なのかどうなのか、でも当時のコンサートは今のようにタイムスケジュールがきちんとしていなかったので、途中で主催者から、もっと長くしてとか、短くしてくれとかのお願いが良くありました。
今だったら、何ゆうてまんねん!というところです。

で、コンサートが終わってから、私は一人で東京に向かいました。もちろん高速バス「ドリーム号」です。
これはダムハウスの半住人でコンサートの企画などもしていた京大生Oさんのアドバイスにより、新しいことを始めるなら「ニューミュージック・マガジン」に私のことを記事に書いてくれた、ライターのSさんに会っておいた方が良いということ。
たぶんOさんは京大関係で北中正和さんと繋がりがあり、Sさんに連絡してくれたのかと思います。

翌朝東京につき、一足先に東京に来ていたOさんと、高円寺の「ムーヴィン」で待ち合わせ。
いまや伝説のロック喫茶「ムーヴィン」ですが、ここは確か店に電話がなかったので、予定変更はできません。
今のようにスマホがない時代、よくみんな待ち合わせができたと思います。
お互いに「信義則」というものがあったのでしょう。
でも、この数か月前に大阪心斎橋の「サカネ楽器店」で知人と待ち合わせた時、2時間待たされたということがありましたが。まあ、いつの時代でもそういう人はいらっしゃるということで。

Oさんと合流後、たぶん渋谷の喫茶店だったと思いますが、音楽ライターのSさんと会見。
ビックリしたのは、SさんはまるでT・REXのようなサテンかなんかのキンキラのジャケットを身にまとい登場。
わぁ!東京ちゅうとこはライターの人まで派手なとこなんや!という印象です。
当時の京都の我々の周辺では、小汚いかっこうしているが演奏するとメチャかっこいい、というのをヨシとしていた風潮あり。
この時どのような話をしたのかよく覚えていませんが、ブルースやラグタイムを日本語でやる「ジャグバンド」を作りたいということは言ったかと。
まだこの時は「田舎芝居」構想はなかったです。

そしてこの後、道玄坂「ジャン・ジャン」昼の部に妹尾先輩が出演するということでお邪魔しました。
妹尾先輩はバンドではなく1人でギターやハープを演奏しながら歌っていました。
おやっと思ったのが、ジェームス・テイラーの「スティームローラー・ブルース」を演奏されたこと。
ブルース以外のアーティストの「ブルース」をレパートリーにする守備範囲の広さに感心!
おまけに私をステージに呼んでくれて、ハープを演奏させてもらいました。
当時の京都勢の中では、東京一番乗り!だったかも・・・
でも、私は下駄を履いていたので、お客さんから笑われました。
これも当時の京都風で、永井さんも下駄でステージに出てました。BBキングの前座の時も確か下駄でした。
下駄というと、我らの「あがた森魚」氏ですが、ここから考えると、既に「下駄繋がり」があったのかもしれません。(この稿続く)

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