日本語教師になる!152日目

今日会社で気づいた事は社長は色んなことを一気に進めると言うこと。以前は私もそれがすごいなと思ったし憧れていた。なので私もそれに習いやっていたが私は元々大雑把な性格なので広く浅くだと出来たものは適当で運良くそれが上手くいけば良いが失敗するともうどうしようもなくぐちゃぐちゃになり元にすら戻せなくなる。やっぱり私にはこの方法は向いてないと改めて思った。私はただ大雑把で適当なだけで、同時に色んな事をこなせる器用なタイプではない。しかし側から見ると要領の良い人?と言うイメージもあるようで、嫌味でよく「あなたって本当要領がいいね」「運だけはいつもついてるよね」と言われてきた。その意味が今までは私には理解できなかった。しかしそれは「あなたは器用ね」と褒められていたのではなく、ただ適当にやっていたからそう見えていたのだと今日改めてわかった。自分ではずっと周りに比べて鈍臭く、要領が悪い。それにもし結果が上手く行った場合それだけ見れば確かに「運がついていた」と言えばそうだが、私はその人達が知らない所でそれを成功させるために動いて努力していたりする。なので「いつも運がついてるね〜」と言われると違和感があった。私の結果はいつも「棚からぼたもち」ではない。何の努力、何も行動してないわけではない。私は自分で動いていたし成功させる為にたくさん小さな失敗をしていた。そしてやっと成功できていた。私はそれをあまりみんなの前で出さなかったのもあるが周りから見たらいつも「楽しそう」とか「気楽そうでいい」と見られる。それまでの努力は見られてないんだなと思った。こう言うことも今までは気づけなかったけど毎日ここで自分の言動や気持ち、考えを書いているので気づけた。私は周りの人から言われることが1番心に残る。なので「自分は要領が良い。器用なんだと」と思い込んでいた。なので私も社長のように浅く広く色んなことをこなせると思っていた。結局それをやっていても私は上手く出来なかった。自分でやっているつもりでもそばにやってくれる人がいれば丸投げしていた。広く浅くできたとしても人に頼っていた。今思えば1人では同時に色んなことをしてもついていけなかった。まずはこれを終わらせてと一つ終わったら次と言う感じで実は進めていた。しかし「自分は要領が良い」と思い込んでたので色んなことを一斉に出来るという気持ちはあった。一つ終わらせてもそれは適当だった。とにかく何でもいいから終わらせていた。なのでよくわからないまま終わっていた。何も形に残るようなものでなく中途半端な物だった。だから結局終わらせても何の評価もされずただ終わらせたという感じになっていた。そんなだと自分で達成感もないし、あれだけ時間かけてやり遂げたのに何の自信にもならなくて次に繋がらなかった。それもなぜかは今までは分からなかったが今はよくわかる。私は「要領がよくない」一つのことをやるのに時間がかかる。それならばどうせやるならじっくり時間をかけてやったほうがいい。時間をかけるとしっかりとりくめる。丁寧に一つ一つやっていくので次にまた同じような物をやる事になってもちゃんと理解しているのでスムーズにいく。次につながる。コツコツやっていると意外と物事は似ているものが多いことに気がつく。なので他のことにも応用ができたりする。もし誰にも頼らず何も調べずできたらそこでまた自分の自信にも繋がる。私はこっちのやり方の方が合っている。無理に自分の能力以上の事、自分の手に負えない物を広げても仕方ない。無理に広げてもどんどん悪くなるだけとわかった。小さくても地味でもいい。私はコツコツやっていこうと思う。そうすれば私の目指す深く質の良い物ができる気がする。

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