つれづれ

先日こんなことをつぶやきました。

春休み、実家で過ごす時間がありました。そのとき、祖母と折り紙をすることになった。このとき息子が手裏剣にはまっていたこともあり、ひたすら手裏剣をつくることに。

祖母は認知症である。新しいことはもちろん、これまでできていた料理や花を育てることを苦痛に感じるようだ。さらに身体の痛みで歩くこと、立ち上がること、あらゆることを嫌がるようになった。
そんな状態の祖母だから、折り紙も「はぁーできない」といって放棄すると思っていた。

ところが一つ作り終えたとき、
はぁー覚えられんぞ
こりゃ覚えるまで習わないかん。
休憩してまた習わないかん。

と言い、次の折り紙を準備しはじめたのだ。
あれ、予想と違う。
本当に次もやるの?と戸惑っていると。
さて、どんねするんやった?と作る気満々な姿勢を見せた。

二つ目をつくり終えた時も同じだった。
本当は私の都合でここで終わりたかったのだが。
子育てと同じ、やりたい!を止めてはいけない気がしたので、結局1時間手裏剣をつくり続けた。

これならデイサービスなどに行き、刺激を受ければいいのに(祖母は格好悪いと行きたがらないのだ)と思ったのと。おじいちゃんおばあちゃんを相手に教えるというのは私には無理だな、と思った。

そんなことをノートに書きながらふと思い出したのが小学生の時、老人ホームへボランティアに行ったことだった。この時も緊張はしていたけど、おじいちゃんおばあちゃんに教えていたじゃん。仕事じゃないとはいえやっていたじゃん。
今の私は子どもに教える、育てる、はぐくむことに目が行っているけど。
そっちは向いていないと思い込んで視野を狭くしていないだろうか。
そっちは無理、難しいって。

とか言いつつ。本当は子どもの教育をやらないといけないのに、目をそらしているんじゃないの、私ってば。
「違った見方」なんて言葉を使ってね。
核心に迫ったときの私の悪い癖(笑)

サポートありがとうございます。