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立ち止まる勇気


メタバースの学校、ニンジャ寺子屋です。 ”みんなでつくる、みんなの学校”であり、 授業から行事まで大人も子どもも一緒につくっています。 学びたいことを学ぼう 教えたいことを教えよう 好きは学びの出発点です。子どもたちの”やってみたい”を 応援したい学校です。その中で私は、さまざまな人をゲストに招いてメタバースで授業をしています。

ニンジャ寺子屋の中で、
何もできない、迷惑かけてしまっている自分に
無力感を感じていました。

自分はニンジャ寺子屋で何ができるのだろうか。
1年前はあんなに元気に走り回っていたのに。

たびたび体調を壊す子どもたち、
通院、保育園、支援センター、療育センターを
駆け回る日々、
子ども育てるだけで精一杯
になっていました。

さらに、先日父が亡くなりました。
父が残してくれたものと向き合う
時間も必要になりました。

もう、何もかもに白旗をあげざるを得ない
状態になりました。
目の前のことをこなすことだけに集中しないと
自分が持たなくなりました。


無力感と罪悪感


ニンジャ寺子屋は、大いに盛り上がっています。
sand boxというメタバースで
ニンジャモールをオープンしました。

寺子屋生たちが、ニンジャモール内に
区画で割り当てられたショップを開きました。
本当に斬新で、すごいことをしている!!
その可能性にワクワクしました。

できることが限られている私に、
何ができるか分からない。

何もできない自分、
罪悪感を抱えていました。
多分、それは本当は何かやりたかった
(でも、できなかった)
気持ちの表れなのです。


苦しくなってしまった時に



いろんなことに苦しくなってしまった時は、
立ち止まります。

そこには罪悪感や無力感が伴います。
多少の痛みは伴っても
走れなくなった時は、
歩くしかないし、
歩くこともできなくなった時には
一回止まってみるしかありません。

どれぐらい立ち止まる必要があるか
自分でも分かりません。

子どもたちとおにぎりを持って、
花見して
家のかだづけして、
寝て、
コーヒー飲んで
自分にとって心地よいことだけをしました。

本を読むことも、
ながら聴きも、
SNSもお休みしました。


見えてきたもの


何もかもお休みしたら、
シンプルに

自分の目指すものは何なのか?
この問いにぶつかりました。

それは、ずっとずっと変わらない
知らない世界を見に行きたいし、
知らないことを知ってワクワクしたい。

その一つに、メタバースという場所が
子どもたちの居場所にならないだろうか?
子どもたちがメタバースで学べる場所つくれないか?
ニンジャ寺子屋はその先駆けになっているのです。
ニンジャ寺子屋にいたら、
子どもたちの可能性を見ることができるんです。
教育の可能性を見ることができるんです。

だから私は
この場所から、絶対に離れちゃいけない。
自分に何ができるか本当にまだ分からないけれど、
こんなワクワクした場所を求めていたのです。


立ち止まることは時に勇気が必要です。
痛みを伴うことがあるかもしれません。
自分にとって立ち止まっている時間が長いように感じても、
3年後の自分から見れば、
一つの(悩んでいたという)点でしかありません。
必要なのは、点をたくさん打てば
それだけ線になるのです。


ニンジャ寺子屋はみんなでつくる、みんなの学校
大人も子どももみんなで学び場をつくろう
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https://ninjaterakoya.com/

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