1年前のこと
2023年5月1日
ヨガのレッスン後、雑談の中で先生にも妹さんがいらっしゃると聞いて「(私と)一緒ですね」という話になった。その妹さんは、紆余曲折があったけれど、今はご結婚をされて幸せに暮らしていると聞いて、私の妹もそうなるといいなという話をした(結婚が幸せという意味ではなく)。
5月8日
土砂降りの雨の中、私は早朝から友人と川越に向かた。そして用事を済ませて小江戸川越の街を散策していると、朝の大雨が嘘だったかのような青空になった。
5月12日
夕方、電車に乗っていると母からLINEが来た。
『香さん(妹)の友達から自宅に電話がありました。明日、ひとりで探しに行きます。何かあったら力を貸してください』
母が私にそんな連絡をしてくることは初めてで、聞けばその友人は妹と1週間連絡が取れないのだという。私は仕事を休んで母に同行することにした。
5月13日
11時に最寄り駅で母と待ち合わせ、妹の住むマンションに向かった。オートロック越しにインターホンを鳴らしても応答がない。母は「ひとまず昼食を食べに行こう」と言ってきたが、私はそのまま近くの交番に行くことを提案した。
交番に着き、私たちはこれまでの経緯を話した。
正直、この時点では『旅行に行っているだけ』や『携帯電話が壊れているだけ』の可能性もあり、母も私も何が正しい行動なのかわからなかった。ただ一方で『具合が悪くて寝込んでいる可能性』や『行方不明の可能性』もゼロではない。なにせ、友達から実家にそんな電話がかかって来ること自体が不自然だ。
そして、『もし、私たちの早とちりだったら妹に謝ればいい』と、警察と母の判断で鍵を壊して部屋の中に入ることになった。
私たちは警察官2名と再び妹のマンションに向かい、小雨の降る中、マンションのエントランス前で警察が手配をしてくれた鍵屋の到着を待った。そのうち警察署からも刑事が数名来て、救急車と消防車も到着した。待っている時間はとても長く感じ、道行く人々の冷ややかな目がとても辛かった。
鍵屋の到着後、『特殊な鍵のため、今の鍵を壊して新しい鍵を付け替える方法しかない』と言われた。母が承諾をすると直ぐに作業が始まった。カッターで鍵を壊す音はとても大きく、鉄の焦げた匂いが廊下に充満する。そして、最初に部屋に入った女性の刑事さんが妹の名前を呼ぶと、少し離れた場所で待機をしていた私と母のところに猫の鳴き声が聞こえた。それは最後の力を振り絞るかのような声だった。愛猫家の妹が猫を置いて遠くに行くことは絶対にありえないと思っていたので私と母は少しほっとした。しかし、その後、いくら待っても妹の声は聞こえなかった。
妹の死亡が確認できたのは14:30頃だったと思う。
そこから私と母は警察の車で警察署まで行き、事情聴取を受けた(今、思えばあれをそう呼ぶに違いない)。複数の刑事が代わる代わる私と母に同じような質問をしてきた。ただそれは充分に配慮がされている質問ばかりでいやな気持になる事は一瞬たりともなかった。
そのうち、愛用のバッグに入れてもらった猫も到着し、父が手配してくれた葬儀会社と翌日の夕方に妹を迎えに来ると約束して、母と私、そして妹の猫は18:00頃に警察署を後にし、電車で1時間かかる私の自宅へと向かった。
5月14日
警察の都合で妹のお迎えが1日延びたため、母を実家まで送った。
5月15日
警察署で死体検案書を受け取り、父が手配をした霊柩車に妹を乗せてもらった。そして、そこに書いてあった死亡推定日と私が川越に行った日が一致していたことに気づいた。あの日、川越の空が気になったのは、愛犬亡くなった日の空ととても似ていたからだ。まるで『ママ、ありがとう。先に向こうに行っているね!』という愛犬の明るい声が聞こえてきそうな美しい青空だった。きっと妹もそのタイミングで天国に行ったのだと思った。
5月16日
葬儀会社の方のご尽力で滞りなく葬儀を執り行うことができた。遺体の初期腐敗が始まっていたので、早く火葬してあげましょうと仰ってくださり、女性らしい素敵な花柄の骨壺をはじめ、何から何まで選んでおいてくださった。遺影は間に合わず、私の夫がプリンターで印刷をしたLINEのプロフィール写真を実家にあった写真立てに入れた。
続く
私が妹の事をnoteに書く理由
私が妹の死についてnoteに書く理由は二つある。一つは自分の頭の中を整理するため、もう一つは、ひとりでも良いのでこれを読んでくれている誰かの役に立ちたいからだ。
私と妹は仲の良い姉妹とは言えなかったが、亡くなってからの1年間、妹のことを考えなかった日は一日たりともなかったし、昼夜、場所を問わず突然、涙が出る日々が半年以上も続いた。
妹のいない世界は、私が想像をしていた世界と全く違っていた。
ヨガの先生との会話に『妹』というキーワードが出てきた時、川越の空を見た時など、それ以外にも妹と連絡を取るタイミングがたくさんあったはずなのに私は行動に移すことができなかった。
それは過去のわだかまりや起きてもいない未来への心配が先にきて『今』を見る事が出来ていなかったからだと思う。
『死』を考えた時、必ず『生』について考えさせられる。
そんな事をこれからも書き続けたい。
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