見出し画像

Dear Sourdough Geeks


自家製酵母でパンを作り始めた時、その難しさ故の面白さに夢中になりました。
 勤めていた頃使っていた、市販の天然酵母とは全く違うシロモノだったんです

たった4〜5年前ですが、あの頃はネット上で手に入る情報が本当に限りられていて、何度もぺちゃんこの(膨らまない)パンを焼きました。
その度に頭を傾げ、仮説を立て、レシピをいじりまた挑戦。
時々サジを投げてふて寝をし、横になりながらふと目にした海外の動画、言葉が分からないまま何百回と食い入るように繰り返し見、起き上がってはまた挑戦しました。

だから、「ドライイーストの力を借りずに、サワー種だけで綺麗なパンを焼けるようになりたい!」
そんな彼ら(彼女達)の気持ちも分かるんです、すごく分かる

それは、時に大きなモチベーションとなって私達を成長させます。
でも拘りが過ぎてしまうと、とても視野が狭くなり自分で自分の可能性を狭めます。
それはとても、勿体無いことだと思うんです

簡単に情報が手に入る今の時代だからこそ、選択肢が広がった今だからこそ、なおさら取捨選択が必要になります

可能性を狭めるな、でも取捨選択は必要

何だか矛盾しているようですが、『過ぎた拘り』という色眼鏡をかけず物事を見ると、世界が広がります。そこには本物のプレイヤー達が自由にパン作りをする、触れたことのない世界が待っていました。
その自由は思いつきのそれとは違い、しっかりとした基礎があり化学的エビデンスや膨大な経験を経て手に入る本物の自由です。
初めてその世界を垣間見た時、「なんて自由で楽しそうなんだ!」とパッと目の前が開けたのと同時に「いままで私は何をしていたんだ?」と目眩にも似た感覚がありました。
彼らと同じようなプレイヤーとはいかなくとも、早く本物に触れるのは大切なことです。

けれど過ぎた拘り(プライド)や偏見があると、なかなかここに気付けない。知っていても、理解が出来ない。
これは無知からうまれます。かつての私もいや、つい最近まで私もここに居ました。
知識という本物を見極めるためのフィルターを手に入れてニュートラルに周りを見渡した時、本物の世界が見えてきます

初めて焼いたパンを思い出してみてください。
よく分からないながら本片手に焼いたパン、これで良いのかも分からなかったけれど自分で焼いたパンは美味しかったはず。
それがいつしか、バゲットを焼いてみたい、高加水で焼きたい、クープを開かせたい、自家製酵母で作りたい、小麦粉は国産品でと、知識を付けるにつけ拘りが膨らみだす。
そういう過程は誰にでもある、成長する上で必要な過程です

でも、時々振り返ってみてください、
知識欲だけになっていないか、人と比べていないか、否定し始めていないか、何の正為にパンを作っているか

それが肯定的なものであるとしたら、多少潰れたパンでも良いじゃないですか、あなたの周りには「美味しい」と食べてくれる人がいるはずだから

#sourdoughgeek

サポートよろしくお願いします。これからの活動、新しい挑戦(アメリカでパン屋さん)への資金にさせて頂きます