見出し画像

世界平和とかはどうでもいい


考えすぎて泣きすぎて痺れた頭で

自分についてひとつわかったことがある。


わたしは、別に世界平和などどうでもよくて

日本がどうとか社会がどうとかもどうでもよくて

自分が今、笑っててほしいと思う人が

笑ってくれればそれでいいとしか思えないんだなということ。


笑っててほしいと思う人は

わたしの目の前にいる人で

わたしが好きだと思える人で

わたしが、この人のためならがんばれると思えた人で

悲しいけれど

もしかしたら、それは長く続かないかもしれない

とも思う。


「愛の存在は信じるけれど、愛の永遠は信じないわ」

というのは、岡崎京子さんの漫画のセリフ。


別に、嘘でもいいし

そのときだけでもいいし

そもそも、わたしは自分の気持ちが持続するとは思ってない。

ずっと、とも言えないし

みんな、とも言えない。


でも、例えば自分の子どもとか好きな人がいろいろまずいってなって

もしわたしが代わりになればどうにかなるみたいな状況になったら

全然、代わりになる。


目の前の人が「わたしなんて」とか言ったら

そんなことない、という理由を間違っててもなんでも

屁理屈でもこねる。


正しさってなんだ?公正?普通?

世界のどこかではもっと困ってる人がいるとか

知らん。

それが屁理屈の材料になるならいくらでも使うけど

それは、そこを何とかする人が何とかするでしょ。

わたしは、わたしが何とかしたいところを何とかしたいんです。

えぇ、エゴですが、何か。


そのくらい、自分の守りたい範囲は狭くて

わたしの想いは刹那的で

わたしは自分勝手だと改めて思った。


本当は、今のことだけじゃなくて

10年後、30年後はどうなの?100年後は?

自分はよくても、周りはどうなの?子孫は?

社会は?日本は?世界は?地球は?

って、考えないといけないんだろうなとは思ってる。

実際、そこを知らないと家族も守れなくなりそうなご時世。


でも、自分の守りたいものは申し訳ないけど

すごく少なかった、狭かった。


ただ。自分が本当に守りたいものが何か

何が大切で、何が大切じゃないのかを自分で知って

何ができないのか、どんなものの優先順位は低いのかっていうのを

自分で知ることができた、というのは

よかったことなんじゃないかなって思ってます。


世界平和を本気で考える人がいてもいいと思ってる。

その方がいいと思ってるし。

でも、わたしは世界平和なんてどうでもよくて

自分が大事だと思える人が、笑えてたらそれでいいです。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?