「角川文庫発刊に際して」が名文でびっくりした話
たまに見かけたことがある、出版社による巻末の文章。
ふだんは目にとまらないのに、なぜか今日ふと目に飛びこんできた。
あ〜〜〜
この文章を追って、わたしは息がつまってしまった。
何度か目を往復させて読んで、いったん目を閉じた。
「第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。」という言葉は、これだけの文化・思想・自由意志を構築する力がありながらも戦争に向かわせてしまったということの『敗北』を意味するのだと思う。
わたしがこの文章を見つけたのは、寺田寅彦さんの本『ピタゴラスと豆(角川ソフィア文庫)』を読んでいたときだった。
物理学者の寺田寅彦さんは1878年(明治11年)〜1935年(昭和10年)を生きていたひとだ。彼の知見の深さに驚きながらページをめくっていたのに、巻末はこれ。「私たちの文化が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花にすぎなかったかを、私たちは身を以て体験し痛感した」である。まさにその時代に文化をつくってきたひとりである寺田寅彦さんの功績ですら、あだ花となってしまったんだ。そう言い切った文章だということだ。ちょっと打ちのめされてしまった。
ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』の後半には、主人公バスチアンをそそのかす魔術師、サイーデが出てくる。サイーデがあやつれるものは、中身がからっぽのもの。空洞の甲冑を自在にあやつっていた。そして、最後にあやつられてしまったのは、記憶を失いつつあった主人公そのひとだった。まさにからっぽだった…ということを意味してるんだろう。
からっぽではなく、わたしたちのなかに記憶、知識や文化、つながり、ありとあらゆるものがつまっていると、簡単にあやつられることはない。戦争に向かうこともない。そういう想いが詰まっているのだと思う。
角川源義さんのこの文章からは、危機感と責任をひしひしと感じる。次は絶対に敗退させない、という強い意志が伝わる。次世代に対する責任を強く持っている。わたしは、この文章を読んで、「責任」という言葉のまっとうな使われ方を目の当たりにした気がした。角川源義さんがどんなひとだったのかを、わたしは知らない。思想も価値観も何も知らない。(Wikipediaには癇癪持ちだったと書いてあるし、個人的には遭遇したくないタイプかもしれない)だけど、この文章からはなみなみならぬ強い責任を背負って、角川書店を創設したのだというのだけは伝わる。終戦して3ヶ月後の創設。焼け野原の東京で何を思っていたんだろう。いろんなことが頭をよぎる。
この彼のありように、自分の心がぐわっと沸騰した。
わたしは、ずっと、こういう仕事がしたかった。ずっと。ずっと次世代に対する責任を感じていた。これを言うと毎度笑われてしまうけど、わたしは19歳のときから、次世代に対する責任をずーっと感じていた。
どうして若いひとの死因の一位が自殺なんだろう。(2020年はさらに10代、20代の自殺者が増えている)どうしてこんなにもたくさんの人が心を鬱屈とさせているんだろう。どうして選択肢が何もないと思ってしまうまで、追い詰められてしまうんだろう。どうしてだれにも頼ってはいけない、だれも頼るひとがいないと思わせてしまうんだろう。これを次世代に残したいか?って言われたら、わたしは絶対に残したくない。
たしかに終戦後、日本は直接的な戦争はしないままこの日を迎えている。(ベトナムやイラクなどでの戦争は間接的にかかわっていたとおもうけれど)でも自殺者数が増えるならば、戦争をしたようなもので、ここでいう「私たちの若い文化力」は、いまもまさに、負け続けているんじゃないか、と。
いや〜〜
も〜〜これは〜〜がんばりたい〜〜!
と思ったという話でした。
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