一切の無駄のなさをつくりたいし、ものすごい無駄なことをしたい
「ああこれはイベントをやるためにやってるイベントだな」と思うイベントがある。「これはレポートを作るためにつくってるレポートだな」と思うレポートがある。
ビジョンも、目的も、価値観もない。もしくはあったのかもしれないけど世に出る過程で初期の思いが削ぎ落とされてしまったのかもしれない。なぜ様々ある手法のうちレポートという手法が選ばれたのかの検討なく、ただそれがなされてしまうとき。ビジョンがいつのまにか処理されるタスクとなってしまったとき。それはゴミみたいになる。
そういうのを見るとき、とても無駄なものに触れてしまったなと感じて、なんだか心が疲れてしまう。レポートのためのレポートなんて、価値ない。そのモノがこの世に放たれる意味を、使命みたいなものを、与えてあげたい。
一方で、反対のことを言うようなんだけど、ものすっごい圧倒的に意味がなくて無駄なプロジェクトをとことんやりたいと思う。アホみたいに夢中になってバカみたいなことをしたい。もしくは何もせずに夢中にもならずに、ぼーっとしていたい。役に立つとか立たないとか、価値があるかないかの軸で物事を見るのをやめて、そのもののいろんなことを好奇心に任せてただ知りたい。
あの無駄なレポートと、この愛しい無駄のちがいはなんなんだろうなーーーと思っている。一切の無駄のなさをつくりたいし、ひたすら無駄なことをしたい。
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