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#26 頼らせてもらうが苦手な話 〜拝啓1年前のわたしへ

今日は1年前のわたしへ

このシリーズは、わたしが過去の自分に対して、手紙を書くように、自分の気づきや大切にしたいことをしたためていく、100日note投稿チャレンジです

「頼る」について。
わたしはあまり得意ではない。というか、けっこう得意ではない。

現実的には、だいぶ頼っている部分があるんだと思うのだけれど、「頼る」マインドがないという意味だ。

実際は、近くに実家があり、助けてもらうことも多い。
けれど、気持ちの上で頼るのはなかなか難しかった。

もともと学生時代からそうだった。駅まで30分・山を2回ほどアップダウンして、高校や大学に通っていた。車で送ってもらう文化はなかった。というのもあるので、基本歩く!という体力はついたんだけれど。

これは、出産をきっかけに第一段階がずいぶん変わった。

出産のタイミングで実家に戻り、実家から車で15分の距離に引っ越した。
ので、主人が出張の時は実家に行かせてもらうことも多く、たくさんご飯を出してもらってたり、子どもをお風呂に入れてもらったり、洗濯もしてもったり。完全に頼っている状態ではある。

最近までは、「頼る」=「申し訳ない」ことだと思っていた。
少しずつ変化してきて、

頼る、も、ただただ「申し訳ない」ことではない、とも思えてきた。
孫たちを世話してくれることで父母にとってもいいことや、孫たちにとっても貴重な時間があるのをありがたく思ったし、親孝行でもあるなと思った。

それでも、ある程度ちゃんと対応しないといけない気持ちも強かった。ちゃんとした母をやっている姿を実家に見せることが必要だと思ってはいた。

ので、実家だから楽というよりは、気を張ってはいるので、楽ではなかったり、合わせることが多かったり、仕事をできる時間が少なくなるという状態だった。

頼るはまさに第二のリハビリ段階に入っている。今日ももっと頼ったらいいのでは?とアドバイスをもらって、面食らっていた。

自分のことは自分でなんとかする。
そのマインドでは、できる範囲は自分でなんとかできる範囲になる。
それを少しずつ広げる必要がある状況とチャンスだというアドバイスだった。的を射ている。

第二段階においてあるのは、「ちゃんとした母親をやっていることを知って安心してもらいたい」というところがあることだ。これもこれで、健全な意識でもあると思う。

けれど、実家は助けてくれない。わけではない。わたしが助けてもらおうという姿勢ではない、ということの反映なのだ。

頼れないのは常に、頼る側のわたしの問題。

だから、頼り上手になることはわたしのダメなところも見せていくことだったり、情けないことを飲むことだったり、頭を下げることなのだと思う。
と同時に、覚悟を見せていくことでもあるし、自分の幅を広げることでもあるし、わたしができる範囲を広げることでもあるということなんだと思う。

こういう挑戦が一番しんどいな。
今、まさに頼って、noteを書かせていただいている。
それでも、まず、noteを書けたので一つ大きな成長である。

一年前のわたし。頼れないのは、頼れないシチュエーションがあるわけではないのかもしれない。頼れないわたしのマインドに何かあるのだ。

そして、今、まさに第二段階を挑戦している。

が、がんばる・・・!


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