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#68 自分を叱咤するのは「自分の中の狂気」である 〜拝啓5年前のわたしへ

今日は5年前のわたしへ

このシリーズは、わたしが過去の自分に対して、手紙を書くように、自分の気づきや大切にしたいことをしたためていく、100日note投稿チャレンジです

あなたの中の「あなたという狂気」について。

お客様に深く踏み込んだセッションを提供しているとき。
その人が知らずに取り入れている基準について話すことがある。
明らかに違う方向を心は求めていそうなのに、頭の声はひたすらに否定している。そんなことがよくあるのだ。

その存在について深く聞いていくと、実態がなかったり、思い込みだったりすることもある。

自分を責める自分を描いてみたよ

例えば、最近のわたしはメガネ生活が普通になった。
でも、過去には「メガネの私は外を歩けない」くらいに思っていた。これは、遡ってみると、メガネのわたしが、小学生の時に「メガネザル」とか「ウミガメ(?)」って言われたから、だったりする。
その後、メガネの自分を見せることもなかったから、決して誰にも否定されていないのだけれど、メガネを否定されたわたしは冷凍保存されているようで、自分の中で深く凍りついたままでいる、そんな感じだ。


例えば、わたしは一般的な成功みたいなものを追いかけている時期があった。最近までそうだったと思う。ある程度、世の中から評価される人物になる。年商が稼げていて、同期や先輩の誰がみてもあの子はすごい、よくやったと言われるほどまで行かねばならない。そんなふうに思っていた。実際は健在的にはわかっていなかったから、後からだんだんわかってきた。
わたしは、成功者っぽい自分になって、周りの人にイケてる自分であると評価して欲しかったのだ。

これは、客観的になってみたり、自分の現実に即した幸せについて考えられるようになると、かなりズレている感覚だったことに気づく。
わたしは自由な性格・性質だし、新しいものが好きだし、同じことを続けられない。わたしは自由に好きなことを好きな人たちとやって、戦友と思える人たちと語り合いながら、旅を続けたいだけなのだ。

もしかしたらこれを読んでくれる人は、そりゃそうでしょ。と思うかもしれない。

ただ、面白いのは、いろんな大人の過去や今を掘っていくと、大抵、自分の中で「ここまでやらなきゃ生きてる価値ないよね!!」みたいな恐ろしく狂気な声が住んでいる。深掘りしてみると、過去に親に言われていたり、親がそう悩んでいたり、誰かを反面教師にしてこうはなりたくないと強く思っていたり・・・と、過去の自分が歩んできた中でできた思い込みというか、自分を守ってくれる装置だったりする。

その、「自分の中の狂気」の取り扱いはこんな流れでやっている。

1 「自分の中の狂気」の存在に気づく
2 「自分の中の狂気」が生まれたタイミングや背景を知る
3 「自分の中の狂気」に助けてもらったことについて確認して感謝する
4 これからの人生で、どう生きていきたいのか確認する
5 生きていきたい人生に基づくと、「自分の中の狂気」と
  どう付き合っていきたいのか考える

この流れを踏むと、ある程度、これからの人生においては「自分の中の狂気」さんには出家してもらったり、横で見守ってもらったりする感じになる。

そうすると、おそらく「丸くなった」と言われるようになる。


こういう内容はかなり深く話していかないとわからないことだけれど、こういう話をしっかりできる時間は個人的には大好物でよだれが出るほど。
インタビューコーチングではそういった人の大切なパーツに触れることができてとても素敵なことだなと思っている。


そして、こういった内容については、実はわたし自身が通ってこないと扱えないものだ。わたし自身が旬に、自分の中のいろんな声と向き合っていたから、人のいろんな声にも気づくことができるようになる。
人生の経験ってとても意味があるなと思う。同時にわたしの経験なんぞちっぽけなんだろうなとも思った。

なんにせよ、この5年くらいの中で自分が扱える範囲が広がっていること、時に自分の深いところを掘っていくことができるようになっていることについて、自分に感謝したいなと思う。

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