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#73 自分軸で揺らぐとき、誰の横にいるのか 〜拝啓1年前のわたしへ

今日は3年前のわたしへ

このシリーズは、わたしが過去の自分に対して、手紙を書くように、自分の気づきや大切にしたいことをしたためていく、100日note投稿チャレンジです

わたしたちは日々、いろんな情報に晒されて生きている。
日々何気なく耳から・目から自然に入ってくる情報によって、けっこう自分の考え方や生き方に影響を与えるからすごいというか、怖いなと思う。

昨日、家族の反応に、「わたしがやっていた日々の家事は当たり前でしょ」くらいな雰囲気に衝撃を受け、ワンワン泣いていた時間があった。
この数ヶ月は家のことがワンオペな状態で仕事もガッツリがんばっていたためちょっとしたことで噴火してしまった。。。
我ながら未熟だなと思う。

そんなメンタルの状況もあり、いろんなお仕事での接点や、日々影響を受けていると感じることなどから、けっこうグラグラしているフェーズに入っていた。ちょうど事業モデルも改めて規模感から決め直していこうとしているタイミングだからよりグラグラ感が強い。

今日のmosabaカレッジでばたちが開催してくれている自習室があり、そこに参加させてもらい、昨日の出来事やブレている状況などについても、一旦泣き言のまま聴いてもらった。共感をしてくれたり、励ましてくれたりもとてもありがたかったけれど、ばたちは毎回叱咤激励も忘れない。
今日も名言の噴出がすごかった。

「結局、さちえる自信が、Aさんの道で生きていきたいのか、Bさんの道で生きていきたいのか、はたまた、自分の道を生きていきたいか、だよね」

本当にそうだし、自分の道を選ぶことの難しさを改めて知った気がした。

わたしは振り返ってみると結構いろんな人の道にお邪魔しながらやってきた感がある。Cさんの場所で学んで引き上げてもらった〜だったり、Vという会社の看板があるから一般的には難しい入り口をパスさせてもらっていたり、Dというビジネスコミュニティでお客様に出会っていたり、C Lというコミュニティで仲間に出会っていたりする。

最近はかなり自分なりに道を選んできている感覚も強かったけれど、
自然と大きな力に迎合していたり、盲目的に誰が言っていることを信じようとしていることがあるなと自覚させてもらった。しかも自分の状況に都合よく・・・w

そう思うと、改めて「自分を信じる」というのは、言うは易く行うは難しってやつなんだなと思った。

今日は結局、崩れながらも次女とお散歩に行き、お散歩の帰りに出かけようとしていた、主人と長女にばったりし、不意に次女がついていったため時間ができた。うなされながらも2時間くらい寝ることができ、ご機嫌にご飯を作れて、早めにお風呂も終わり・・・と安堵している。

疲れている状況を侮ってはいけない。苦笑

ばたちは「まずはさちえる自身の余裕がないのがつらいよね。考えるのも大事だけれど、まずは少し空けることだね」と、自由時間を設けることを勧めてくれた。ちょっと前のセッションでもそういう方向性で、詰めていた予定を少し開けにかかっていたので、今週はペースを緩めて余白を作ることができそうかなと思っている。

ある種、自分を信じるの道を、自分一人でやるのは難しいのかもしれない。
書いていてより一層思ったけれど・・・
みんな大体、「あなた自身を信じるんだよ」と言いつつ、ビジネス的にもその人の道へ誘導していることがとても多い。
本当にわたしのことを考えて、わたしの道を一緒に見てくれる人は世界にどれだけいるのだろうか。そういう意味では、わたしはかなり2年間悪態をつきながら、ばたちの本性を探ってきたけれど。素でご自身の道を歩んでいて、同じ道を簡単に歩ませてはくれず、「あなた自身の道は何?」を解いてくるから仙人だなと思う。

なんとなく、飛天御剣流を修行している頃の剣心が頭に浮かんでしまった。(るろうに剣心は初めて買った漫画で大好きです)余談です。


ということで、わたしは常に道なかば。今日も未熟に道半ばを堂々と歩いているなと思ったお休みでした。
ばたち、ありがとうございますm(_ _)m

そんなばたちに月に12回以上相談に行けるのは、mosabaカレッジです!
みんな、マジでチェックしたらいいと思うよ。

ということで、自分の道について書こうとしたら、ばたちの紹介になりました!

もう少し時間をかけて自分の道(2024年初旬)バージョンを描きたいと思います。

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