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#24 当たり前の日常のために基盤を作りたいと思った話 〜拝啓1年前のわたしへ

今日は1年前のわたしへ

このシリーズは、わたしが過去の自分に対して、手紙を書くように、自分の気づきや大切にしたいことをしたためていく、100日note投稿チャレンジです

「当たり前」という日常は簡単に崩れることがあるんだな。

1年前は半分自分探しみたいなニュアンスも含む期間だった。好きなことをベースにやりたいことを探している時期。そのおかげで今があるわけだけれど、自由感を追い求めて、手にでき始めていた時期だと思う。
今も日常は自由感が高いんだけど、責任感はちょっと高くなってるかな。

今少し、家の中が通常バージョンではない状況になっている。
すると、ルーティンが回らなくなったり、負担が偏ったりして、わたしはイライラする瞬間が多くなっている。

今はわたしも38歳、主人も40歳だけれど、これからいろんなことがある中で、通常通りに働けない機会は増える可能性も高いと思う。親の介護があるかもしれないし、家族の誰かの不調があるかもしれない。

今回、イライラ過ごす週末を過ごす中で、「じゃ、もし家族の誰かが何か病気になったら、介護が必要な状態になったらイライラ過ごすのか?」と頭の中で問いが出てきた。
いい感じで働ける、家事・子育ての協力もある、のが当たり前ではなく、そうじゃなくなったからと切り捨てるもの・・・ではないわけなので。
自分の心の狭さを実感した。

心を広くしたいと思っても、みんなに笑顔のママでいたいと思っても、そんなに簡単ではないから、気持ちは結局イライラしていたりする。
ただ、今回この気持ちを自覚できたから、捉え方を変える訓練を静かに始めてみた。
全部自分がやるから大変だし、動きたいように動けない。けれど、それを楽しむとしたら?ちょっとご褒美つけて気分をあげようか。お花を久しぶりに買ってみる。缶チューハイ買ってみるか、と。
(全体的に購買欲に転化してるから気をつけなきゃだけど。笑)

娘たちは調子が悪い雰囲気を見せていると思ったら、結局お風呂で泡作りが楽しくなって30分出てこなかったし、楽しくなれば、雰囲気が良くなれば結構違ってくることもあるかもしれないとやっと思えて今note。

一人で生きていくわけではないことは、支えもあるし、笑いも二倍になるし、楽しいことも多い。けれど、それは同時に支え合う機会が増えること、リスクにである機会が増えることでもある。

何かあったときに超えられる強さが求められる時もあるかもしれない。力をつけようと、なんとなく思った。

そして、やはりどう考えても、リスクヘッジが必要だ、と思う。
今は世の中の流れ的にも、「安泰」と言える状況ってほとんどないと思う。特に、我が家は会社員ではなく、事業主だからこそ余計に当たり前に給料が支払われるということはない。
だからこそ、何かあった時に、ある程度支えられる経済力が必要になることもあるだろうなと思った。攻めておけば備えることもできるかもしれないけれど、放置しておいては流れに流されるだけになるかもしれない。
改めて、わたしが足場を固めることやビジネス的に基盤を持っておくことの大切さを実感する機会になった。

肝に銘じつつ、精一杯、楽しみながら道を作っていきたい!

1年前の自分はあまり稼ぐとか、家族を支える、的なことはほとんど考えていないと思うし、まあ最近のわたしもそうだったんだけれど、ちょっとそういう意味でも本腰入れてみてもいいのかもよ?なんて伝えてみようと思ったのでした。

今日は真面目なnoteになったぽよ♡
今日もお疲れ様でした!!当たり前の日常が早く戻ってきますように♪

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