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よだかの星を読みながら または夜学の種ver.2

夜学バーを共同運営している私がここ最近思っていることは
やはりここを『お店』と捉えるだけでは不十分だってこと。
それは共同運営している人も同じような気持ちでいてくれてるので心強いのですが、『お店』の体をなしながら、これからもどうにかやっていくにはどうしたら良いのかってずっとずっと考えているのです。
幸いなことに今年の4月を迎えると4年目になるこのお店は、最初に『お店としての経営方針』を一所懸命に模索してくれた兄貴的存在が抜けてしまって、より一層方向性というものを考えなくてはならなくて、もう今年に入ってから何度も吐き気を抱えながら(考え事をすると吐き気がしてしまうアレです。偏頭痛もちは辛いですね)、どうやったら夜学バーの思想(基本的にはもう一人の人の理念)が遠くに飛ばせていけるのか、そういったことを考え続けています。
もちろん、言葉だけを遠くに投げるのは簡単で、SNSを使えば遠方へと渡すことができるし、なんならその言葉を見つけてくれた人たちがわざわざ四国や北海道から東京へと足を運んで下さるので、本当にありがたいことだなって思っているんです。

でもそれだけじゃ足りなくて、これからも学問や思想や生活態度、そういった美しさに反応してくれる人や、私が最初からやっていたサロン夜学に来てくれるような心が弱めな方たちのホッと一息いれられるような、そんな場所になり得るように、生きるのに疲れた人たちがほんの一瞬立ち寄れる宿木のような場所になれるように邁進していく所存なのです。

で、この4年目を迎えるにあたり、同じような思考で全国にいるであろう団体さんたちともっとゆるやかにつながっていけたら良いなって思っていたりします。
そのために何ができるだろうと具体的に考えているところで、今年の春からはもう少し食べられるような実をつける植物などを育てる方に力を入れたりしたいのです。(これは私の思いであって、お店の思いではありません。あしからず)
うちのお店は小さい敷地なので、連携していろんなものを作っていきたいのですよね。この辺に関してはうまくやれれば子供食堂のような、しかし対象が子供でない人版ができるかもしれない……。
もともとうちのお店は学生さんやお金に困窮している人でも場を共有できるようにと様々な工夫を取り入れているお店なので、それほどズレてもいないと思うのですが、まぁそれはおいおい思いを共有していけるようにしていこうと考えています。
(食べ物が出る場というものの安心感はやっぱり大きいので)

私自身はよだかの星を知ってしまってから、

ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。
そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。
それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。
僕はもう虫をたべないで餓えて死のう。
いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。
いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう。

この文章に自分の気持ちがリンクしてしまってどうにもならずにいるし、死ぬと迷惑がかかるから綺麗に消え去ってしまいたい(関わってくれた人の記憶からも全部消して)という思いに囚われ続けているけれど、同じようにどうにもならない、そしてもがくにしてもこじれ続けてしまって、
「私は繊細であることを示すアルファベット3文字で表せるような、あんなものを堂々と言えるような厚顔さは持ち合わせたくない。苦しみ続ける方を選ぶ」というような友人知人に囲まれてよかったなと思っているのです。
だからこそ消えることを選ぶわけにはいかないし、同じ煉獄の中で苦しみ続けようじゃないか、そのためにお店も場も続けていこうじゃないかって改めて誓ったりするのです。

私はよだかの星にもなれないし、なんだかんだで生き汚い人間です。
どうしようもないぐらい汚くて、臆病で悲しい生き物だけれど、それが人間だと思うし、同じように生き汚いと憐れまれるような同士たちとうまくやっていきたいのです。(うまく渡り歩けるような強い人たちはそれはそれでうまくやってくれって思います。私は弱い人たちの理想郷をみつけたいのです)

「ほんの少しの友達ができたよ」ーTMN

おかげさまで面白おかしい尖った人たちと関わることができている身の上ですから、きっときっとこれからも緩やかにつながりを保持しつつ、お店を続けていけることでしょう。
そして、これからも共同運営者の美しい思想を守るために私は踏み台となって縁の下の力持ちを続けていこうと思うのです。

共同運営者がどんな美しい思想を持っているかは「こちら 優しい人はつらい」をご一読ください。

ー「優しい人はつらい」の文章より抜粋
優しさを引き受けるっていうのは、「つらい」ということを引き受けることだ。
 二人いるとして、二人ともが優しくて、二人ともがつらければ、「つらいね」って言える。
 こっちのほうが「仲良しの発想」とずっと近い。
<中略>
だから優しい人は、基本的には優しいことをやめるわけにはいかないのである。そんなことをしたら、世界から優しさが消えてしまうのだ。
 優しい人のほうが、優しくされる人よりもずっと強いんだから、そのぶん頑張んないといけないのだ。
 優しい人は、常にそのように考えてしまう。
 これをどうにかしたいと思うなら、みんなが強くなるしかない。
 優しい僕は心からそれを望みます。

強くなることを強要するのではなく、「なっていこうよ」の姿勢がとくに好きです。
強要はしないけれど、辛いことや厳しいことは自分自身で引き受けて他人のせいにしない。そうやって強くなっていく。そうしたら世の中がほんの少しだけ明るくなっていく……かもしれない。
そういった思考を持ちながらギリギリでもがいているお店です。
世の中の甘言しか見せないものたちへ、「そうじゃないよ、もっと目をちゃんと開こう」と言えるような、そういったものを目指しています。

一部の人にしか引っかからないような、そんなニッチな場かもしれませんが、思うことがありましたらぜひご来店頂けたらと思います。

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