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子どもにとって死はグロい

父が死んだ。

母が死んだのが13年前なので、だいぶ長く生きたと思う。

妻が死んだ夫、というのは結構すぐに死ぬ、とかなんとか言われているが、父は家事含めなんでも自分の身の回りの事をこなせる人だったので、何一つ不自由はなかったんだと思うし、長く生きたのもそういう性分だったからだと思う。

唯一不自由だったのは、「ダブルストマー」であり、障碍者手帳の持主であったことだと思う

父の「ストマー」を初めて見たのは24年前。
膀胱がんの手術をして、膀胱を全摘出して、人口膀胱を付けることになった時から。

腹に穴が開いて、小さい袋「ストマー」がそこにぶら下がっている。
そこに小便が溜まるのを、定期的にトイレに行って出す。
たまにではなく頻繁に、小便は漏れる。漏れて服を汚す。

そういう日常を父は生きていた。

その後、直腸がんになり、腸の大部分を切除して、人口肛門を付けることになった。

腹に穴が開いて、小さい袋「ストマー」がそこにぶら下がっている。
そこに大便が溜まり、定期的にトイレに行って出す。
たまにではなく頻繁に、大便は漏れる。漏れて服を汚す。

これが「ダブルストマー」である。

「排泄」という行為が、すべて腹に空いた2つの穴で処理される人間。
それが父だった。

父が認知症の兆しを帯びた時に、真っ先に思ったのは「オムツはしなくてもいいよな」という事だった。

排泄行為はすべてストマーの中である。
たまに漏れることはあれど、オムツに比べたら随分楽である。

母のオムツを替えた経験がある自分にとっては、父の排泄はすべて「医療行為」であり、自分には立ち入ることができない世界であったから。

母の時と違って、汚れたオムツを替えることなく、父の最期に立ち会うことができた。

ある意味奇跡的なことかもしれないな。と思った。

最期に大きく息を吐き出して死んだ父は、昭和生まれにしては身長が高いので、焼いたらめちゃ骨がデカくて大腿骨が骨壺に入りきれなかった。
骨壺に入りきれなかった残った骨を、だいぶ火葬場に残してきてしまった。

自分は佐賀に長い事滞在することはできず、東京に帰らなくてはならないので、火葬場で焼きたての骨を骨壺に入れて、すぐにお墓に納骨をしに行った。

クッソ暑い中、日陰のないお墓での納骨を手伝ってくれた親戚は、39度の暑さに耐えかねて鼻血を出した。

先祖代々のお墓に、妻と一緒に納骨された父の骨壺を見た子どもたちは、「死体を焼いて、みんなで骨を拾うとかグロいこの儀式はなんだろうね」と言った。

その通りだなぁ。

なんなんだろうね。このグロい儀式は。

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