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【見返り期待は、、、叶わない!?】

ども。季節限定農園バイトの合間のお休みにしれっと書き落としていきます(^ー^)


まずは。。。
《「私はあなたを助けたんだから、あなたは私を助けなさい」は存在しない》ってことをぼそっと。


これね、後日書こうかなと前に書いていた「依存と信頼」にもかかってくるものだと思うんだけど。


昨日の午前中にsession受けていて、あ〜ですよねと思ったので書いていきますね。
まず大前提に「私はあなたを助けたんだから、あなたは私を助けなさい」という相互Helpの精神?が存在しないといわれるとどう思いますか?

・え、じゃぁ私はもう誰も助けない!
・私はもう誰にも助けてもらえないの?
・なんでそんなこと言うのよ!
・助けた方が損するだけじゃん。
・そうやって教えられてきたやん?
・助けてもらったらありがとうって何かお礼を差し出す?ってのが普通やん?
・お互い助け合っていくのが人間だって言ってたやん!
など、まぁいろんな感情が湧き出してくるかと思います。

そもそも「人という字は支えあって立つというところから来ています」が実は違うんだよ〜としたら?
だって足を広げて、ガシッと踏みしめて立ってる「人」ともとれるわけでしょう(^ー^)


別にこの解釈が正しいからOK、間違ってるからダメではなく、物事の見方は広く持ちましょうねってことでして(笑)

まずは他者依存ではなく、自己にのみ寄って立つ意思と智慧を持つ存在として立たなければ物事は動くわけでもなく。。。

さっきかいた「支え合って。。。」ってやつね。
じゃあ背中を預けている片割れが、もう無理!!って崩れれば共倒れでそれこそ自分も立てなくなりませんか?という。
となると、いかに自分をしっかり持って立つことが大事か。。。わかるかと。

というと『私は一人で立てるほど強くないんです!(怒)』とかいうんですよねww

ならば〈 助けてください 〉と手を伸ばして声をあげてくださいませ。私が救いに行く。。。かなぁ。


そこに嘘があるならば行かないけどね(笑)
それと「助けてもらったから次は私が!!」も私はいらない。

助けるというより『救済』というワードが私にするとピタッときたり。
意味としては→神や仏の側から差し伸べられる救いの手 がサクッとハマるかな。


ここでリーディングの話が出てくるんだけど。。。
リーディングって自分の経験則に基づいて行うものではなく、宇宙や叡智と言われるものから引き出しておろしてくるものなのね。

となると「救済」となるってのが理解できるかな?
今までの経験則や蓄えてきた知恵知識だけでは、救えるものも救えなくなってくるよ〜っていうね。

とすると。。。一瞬一瞬のその刹那で判断を繰り返して、一人で耐えられるように生きていきませんか?となるわけで(^ー^;
その判断時に是非リーディングをと思う。

けど「リーディングなんてできません!」っていわれるよね、多分(笑)


ということで、最後に質問を投げかけておきます。
『あなたは自分を信じることhができますか?それが実は嘘に基づくものだとしたらどうしますか?』


よかったら一度考えてみてくださいね(^ー^)

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