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バイクが大好きだった… その2

初めてバイクに跨ったのは高3の時。

塾で知り合った男の子が
バイクで通ってきていた。

私は高2の夏に
「大学に受かったらバイクの免許を取る」
と決めていたので
本物のバイクに触りたくて
塾の帰りにバイクを見せてもらった。

乗ってもいい?と頼んだのか
乗ってもいいよ!と言われたのか
どちらだったか忘れてしまったけど
バイクに跨らせてもらえることになった。

スズキ RG250Γ Walter Wolf
(ガンマ ウォルター ウルフ)

発進させてもいい?と頼んだのだろう。
(さすがに発進する?とは言わないと思う)

運転免許も無いのに
ガンマのエンジンをかけ
言われたとおりにアクセルを開けながら
クラッチを離した瞬間
ガンマは前輪が浮き上がり
軽くウィリーして
そしてエンストして止まった。

私は目の前にいた彼を
彼のバイクで轢くところだった…

それは強烈な印象と記憶に刻まれた
バイクとの初めてだった。


そして、受験。
無事に受かり、ドライビングスクールへ。

免許を取りに行っている最中。
ある日、母に
「お父さんに免許を取りに行っていると
 ちゃんと伝えなさい」
と言われた。

ん?まだ父は知らないの?
母から父に伝わるというルートは
存在しないのか?

また怒られることを覚悟しながら
「今、免許を取りに行っています」
と伝えると
「お前はいつも事後報告だ」
と言われたことを覚えている。

今、思えば
バイクの免許以外に
事後に報告したことなんてあったっけ?

とにかくいつも
言うことを聞かない私に呆れ果て
その時あまり怒られなかったことを
記憶している。

教育虐待を受けていたが
私も負けていなかったということか。

大学に受かった私は自由だった。

生まれてからあった
【現役、国公立、家から通える距離の大学】
に受かると言う私の任務は完了したから。

だから、私はやっと自由になったのだ。


まず、5月に中型免許を取り
初めはスクーターを買った。

ホンダ DJ-1(ディージェーワン)

毎日、DJ-1で大学に通った。

ある日、駅にDJ-1を停めて
何となくヘルメットは手に持ち
電車に乗った。

虫の知らせだったんだろう。

いつもはヘルメットは
バイクに置いていくのに
なぜか、その日は持って行った。

用事を済ませ
駅の駐輪場に戻ると
DJ-1はどこにもなかった。

盗まれたのだ。

必死で周囲を探したが
結局見つからなかった。

そして、18の夏に中型バイクを買う。

ヤマハ RZ250(アールゼット)

一目惚れだった。

当時、女の子が乗る中型バイクは
ホンダのVT250やCBR250だった。
ヤマハのSRに乗る子もいたっけ。

私は女の子らしいバイクには
絶対に乗りたくなかった。

女の子らしい色
乗りやすさ

RZは正反対のバイクだった。

黒い車体
ピーキーな2ストエンジン

そのどれもにワクワクした。

ちょうどその頃
バイト先の人からバイクを借りて
公道を走ったことがあった。

スズキ Γ500(ガンマ)

あれ?500だと中免で乗れないな…
でも250じゃなかったような。

初めて公道を走ったバイクは
逆シフトだった。

つま先で
シフトペダルを踏み込むたびに
加速していく疾走感がたまらなく
少し走るはずが
60km近くも走って帰ってくることになる。

貸してくれた人は
全く帰って来ない私に
事故でも…?と冷や汗をかいたようだ。

今思えば、その時に
「乗るなら2ストローク」
と心に決めたのかもしれない。

バイト先の整備士のお兄さんが
手放すというRZを
目の前で無事に発進させ
(発進できたら譲ってやると言われた)
譲ってもらった後の2年間は
RZとの思い出ばかりだ。

毎日、大学の帰り道に寄り道をして
隣の県まで走ったこと

地図で「○○峠」と書いた場所を
一つずつ走りに行ったこと

そのうち、天気が良いと
大学の門を通り過ぎて
走りに行ってしまうようになったこと

そして、潮岬。

本州最南端の半島
その先端にあるという灯台

半島の周辺の道路は
私が「いつか行きたい」と憧れていた
マン島のようで
走りたくてたまらなかった。

19の春。
私は潮岬に向かった。

地図を見てルートを決め
1日目に潮岬を目指した。

潮岬には本当に灯台があり
それは、高2の夏にもらった
キーホルダーと同じだった。

この灯台を見に来るために
私はバイクの免許を取ったんだ!!

初めての夢が叶った瞬間だった。

そして、次の日は朝から
半島を周回して走った。
マン島のように。

イギリス マン島TTレース。

このレースに憧れるようになった
きっかけは覚えていない。

島を周回するコース

海が見えたり、丘の上を走ったり
一般公道なので
民家が目の前のところもある

アップダウンのあるコース
高速コーナー
周りの風景

そのどれもが、私を魅了した。

潮岬に行く頃には
「いつかマン島で走りたい」という
次の夢があったので
その頃には知っていたのだと思う。

だからなのか
潮岬に行く途中も帰る道中も
実は、あまり覚えていない。

ただ、潮岬を周回する道を
マン島に見立てて
ずっと走ったことだけが
心に残っている。

潮岬に来る夢が叶った次は
「マン島で走ってみたい」
という夢が目標になった。


潮岬の帰り道に知り合った人に
その後、連れて行ってもらい
私は峠道を走りに行くことを覚える。

「走り屋」の始まりだった。

これも、マン島につながる
次の夢への始まりだったんだと
今は思う。


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