共に生きる
仕事を終えて家に帰ってくると、とりあえずテレビをつける。仕事柄、帰宅は遅い。テレビはつけるだけでいつもだいたい見ていないが、その日は深夜の音楽番組がやっていた。番組の名前は憶えていない。これからブレイクするアーティストを特集していた。テレビから流れてきた歌声に衝撃を受けて思わず目をやる。女性アーティストかと思ってテレビを見たらボーカルは男性だった。「左耳」。それが私とクリープハイプとの出会いだった。
最初から好きだった。一目惚れならぬ一聴き惚れ。あの声を変だなんて思ったことは一度もない。「左耳」を聴きたくて「踊り場から愛を込めて」を買った。どれも今まで聴いてきた曲とは違って、こんな曲を作っている人が世の中にはいるんだとまた衝撃を受けた。もっと聴きたくて「待ちくたびれて朝がくる」も買った。「踊り場から愛を込めて」より前のCDは手に入らなかった。部屋にはCDプレーヤーがないから、CDはいつも通勤時の車の中で聴いていた。車に乗らない日はDVDプレーヤーで聴いた。
その後もCDが出る度に初回限定版を買った。メジャーデビューした時は、嬉しいような寂しいような気持ちになった。自分だけが知っているインディーズバンドが売れてしまった時のアレだ。クリープハイプって良くない?めっちゃ好きなんだけど。ミーハーなファンが話すのを聞いて、私はもっと前から知ってたし、私が先に発掘したんだし、と思うアレだ。大学生の時の自分ならここでまた新たなインディーズバンドを探し求めていただろう。自分しか知らないバンドを好きでいるという自分がかっこいいと思っていたからだ。でも、今回は違った。クリープハイプから離れられない。ちなみに私の周りでは「クリープハイプって良くない?」を聞くことはなかった、この時はまだ。
アラサー(アラサー。この言葉嫌いだ。でも使う)の私は、仕事や恋愛、友達関係、いろんなことをうまくできないことにイライラしていた。周りの同世代の友達は結婚して子供を産んで幸せそうなのに、どうして自分には同じことができないんだろう、と。でも、そんなことで愚痴ってはいけないと思っていた。だから、世の中にめちゃくちゃ文句を言っている尾崎世界観が私にとってのヒーローになった。
恋愛は下手だった。尽くしすぎてダメ男を製造してしまったり、依存し過ぎて重くなったり。丁度良いを見つけられなかった。20代の頃は飲んで羽目を外してしまうこともあった。自分に自信が持てなくてとにかく誰かに愛されたいと飢えていた。30歳になりようやく長く付き合える人と出会ったと思ったら、2年が経たないくらいで振られた。職場の年下のバイトの女に取られた。「えー、〇〇さんと□□さんって付き合ってるんですか?お似合いですー」って言ってたアレはなんだった?ムカつく以外の感情が出てこなかった。
振られた次の日に、NHKホールに行った
「全国ホールツアー2014『八枚目でやっと!九枚目でもっと!』」。仲良くしてくれている邦ロ好きの子がチケットを取ってくれていた。気持ちが滅入っていたし、行くのをやめようかとも思っていた。でも、初めてのクリープハイプのライブだった。楽しみにしていた。だから行った。振られたショックが大きすぎて、セトリはほぼ覚えていない(もったいない)。でも、「二十九、三十」を聴いて泣いたことは今でも覚えている。歌詞が共感してくれて、支えてくれて、救ってくれた。いつかはきっと報われる、誰かがきっと見てるから、今更帰る場所もない、現実を見て項垂れる、やっぱりもう居場所はない、もしも生まれ変わったならいっそ家電にでもなって、前に進め、前に進め、前に進め。
その後ライブは行けなかった。仕事を休んではいけないとずっと思っていた。働き方改革の前だ。だから、ずっとCDでクリープハイプと繋がっていた。元カレと新カノと同じ職場で働き続けているおかげで、失恋から立ち直れるわけもなく、精神は病むばかり。同じ職場で働くのが辛くて仕事を辞めようかと考えたが、好きな仕事を手放したくなくて働き続けた。死にたかった。仕事帰りの車内では、いつも「一つになれないなら、せめて二つだけでいよう」を聴いていた。「ボーイズENDガールズ」で想いを募らせ、「百八円の恋」に励まされた。終わったのは始まったから負けたのは戦ってたから別れたのは出会えたからってわかってるけど。
元カレは、新カノと付き合いながらも、私との関係を続けた。世間ではこれを二股という。「リバーシブルー」も私の気持ちを代弁してくれた。いつも会いたくない会いたくない会いたくない、そんな気持ちとは真逆の気持ち。会いたいな会いたいな会いたいなの逆の気持ちの真逆の気持ち。
2023年現在、その元カレは、夫だ。私の粘り勝ち。年下の女になんか負けてたまるか。と意地になっていたところもある。でも、その子より彼を幸せにできる自信がずっとあった。同棲して6年。入籍して1年5か月。私も彼も11月が誕生日。尾崎さんの誕生日も、クリープハイプも11月。私たち夫婦の入籍も11月にした。今では、ライブもフェスもいつも夫と一緒に行く。こないだの幕張メッセと大阪城ホールも1日ずつ行った。初ライブで救われた「二十九、三十」。歌詞が大好きな「栞」。簡単なあらすじなんかにまとまってたまるか。
同棲後もいろいろあったが、これまでのことは全部時効にして、今では仲良く楽しく過ごしている。辛い時も楽しい時も、ずっと私のそばで支えてくれたクリープハイプ。ありがとうを何回言っても足りないくらいだ。同世代のクリープハイプと一緒に成長してきた。20代、30代、40代も、50代も、おじいちゃんおばあちゃんになっても、ずっと共に生きていきたい。末永くどうぞ宜しくお願いします。
ちなみに今は仕事を休んででもライブに行く(休める時はだけど)。有給休暇万歳。