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私が私に許可をしたので、今日も美味しいお茶を飲む
引き続き『となりの雑談』のお話。
Ep.3「イン・ザ・泥」からの連想。
サクちゃんの話の中で「自分で自分に許可を出す」という感覚が思い当たりすぎて、赤べこのように頷いた。
私が私に許可したことは「迷ったときに好きな方を買ってよい」ということだ。
貧乏育ちゆえか、買い物は必要最低限、売り場で1番安いものを買う習慣があり、親元を離れてもその癖は抜けなかった。
今でもブランドやメーカーの名前に疎い。流行りのコスメも美味しいスイーツも、私のアンテナは拾わない仕様にカスタマイズしてある。
嗜好品て、贅沢な概念だなあと思っていた。「自分にご褒美」なんてもう、別の星の話。
働いてしばらくして「あれ?買物って、安いものでなく欲しいものを買ってもいいのでは?」という感覚が芽生えた。
それは私の中では「してはいけないこと」に入っていたので、やっぱり許可を出す感覚だ。
今は、食べたいものをわりと素直に選べる。
たまには美味しいお茶を飲むし、必需品でない嗜好品を買うことの罪悪感は減った。
KALDI楽しい。食べるナッツ美味い。
自分をケアする為の行動をとれず、安全や健康が脅かされる程の状態に陥る「セルフネグレクト」という言葉がある。
こんなに選択肢がある世の中で、好きではないものを選び続けていると、自分が少しずつ損なわれる感じがした。自分にお金をかけないことで、自分はお金をかける価値がない存在だと刷り込んでいくような。セルフネグレクト予備軍。
経済的に逼迫しているとわりと起こり得ることだと思うので、生活の保障は本当に大事だ。
買い物は楽しくできるようになったが、
「迷ったときに好きな方を選ぶ」ことは、いつもできるとは限らない。誰もやらないならやります的な引き受け方をしてしまうことは、まだある。
気づいた人がやるゴミ捨てみたいなの、地味に消耗するけどね。皆、誰が掃除してるか知らない顔で使うしね。
たまにボイコットして、休んでもいいと思う。
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