見出し画像

呪いの言葉

整くんの言葉に思う

先日映画「ミステリという勿れ」を観てきた。
元々漫画原作のファンでドラマも観ていて、映画もほぼ原作に忠実な作りで面白かった。原作でもドラマでも久能整くんが発する名言の数々にウンウンと頷かれた方も多いのではないだろうか。

今回の映画の中で私の心にストンと落ちてきたのは「まだセメントが固まる前の子どもの心に落とされたものは、そのままの形で固まってしまう」という言葉。

「あぁ、そう言うことだったのか」と。

私の姉2人が子どもの頃に心に落とされた言葉は「呪いの言葉」として、ずっとその形を残していたんだな、と。

兄弟のこと

私は4人兄弟の末っ子で姉が2人と兄が1人。3人の兄弟とは10才以上歳が離れている。上3人の母親が亡くなった後に、私の母が後妻に入って私が生まれたいわゆる異母兄弟だ。

上の兄弟の母親は自死だったそうだ。長女は中学生、次女は小学校高学年、長男は小学校の低学年の頃と聞いている。私が生まれる前の話であり、どんな理由があって自ら死を選んだのかは私には知る由もない。ただ、母親を亡くした年頃の娘がいる家に後妻に入った私の母が大変な苦労をした事は、私が大人になってから聞かされた。

とは言え、私が物心ついた頃には上の兄弟たちもそこそこ大人になっており、私自身はみんなに可愛がられて育った記憶しかない。2人の娘と後妻との確執もその頃には姿を消していたのだと思う。

上の2人の姉はしっかりもので、ただ1人の男の子の兄はどちらかと言うと調子が良くていい加減。口が上手くて人たらし、寂しがり屋で1人でいるのが嫌いで、いつも女の影があって結婚も3回離婚も3回。めんどくさがりで職も転々としてはその度にいろんな問題を起こして借金したり、親にも2人の姉にも迷惑をかけて来てばかりの人生だった。だったというよりいまだにそうだ。

末っ子の歳の離れた妹には頼れない、頼りたくない想いがあったのか私のところにはさほど迷惑なことはなかったけれど、何かあるたびに兄は2人の姉たちを頼って救いを求めていた。特に金銭的なことでは、毎回毎回これで最後だからと言いながら。

兄の人生だしいい大人なんだし、もういい加減放っておけば良いものを、姉2人は兄を放り出せない。助ければ助けるほどそこに甘えて負のループに入っていく兄を見ながら、それでもいつも救いの手を差し伸べてしまう。
しょうがないな、と言いながら最後には手を出さずにいられない姉たちに、私はぼんやりと違和感を感じていた。

兄弟だから、と言うだけでは済まされない強い何かを。
それは死んだ母親から託された言葉だったのだ。

死にゆく母から残された最後の言葉

3人の母親は農薬を飲んで病院に運ばれたそうだ。その苦しい今際の際に2人の娘に残した言葉が

「長男のことをお願い」

それが呪いの言葉として娘2人の固まる前の心に深く落ちてしまった。

自ら死を選んだお母さんの最後の言葉、死ぬ前に託された遺言とも言える言葉。それはどれほどの力を持って2人の柔らかな心に落とされたのか。

「私達が小さな弟を守らなければならない」

その後数年もしないうちに父は私の母との結婚が決まり、娘2人は更に強く思ったのではないだろうか?

「父親は新しいお嫁さんのもの、私達がしっかり弟を守らなきゃ」と。

そして柔らかな時期のセメントに落とされたその言葉は、そのままカチカチと固まって2人の心にずっと残されてしまったのであろう。

何年たっても効力を失わない、それはもう「呪いの言葉」

3人とも70歳を過ぎて、いつ誰が先に逝ってもおかしくない歳になり、それでもなお「可愛い弟」を守ろうとする姉たち。「呪いの言葉」の効力はいまだに健在だ。3人の母親がどんな苦しい事情があって自らの命を絶ったのかはわからないけれど、どんなに心残りがあっても、死んでいく者は残された子どもに何かを託してはいけないのだ。死に行く大人が子どもに残した願いは、それを託された子どもが一生背負って生きていかねばならない大きな荷物となってしまう。

親の言葉は時に、子どもにとっては「呪いの言葉」としてずっとずっと心に刻まれてしまうことを、私たち大人は忘れてはならないのだ。

ほぼホームレスのような生活をしていた兄は今、誰も住む人がいなくなった実家に帰って一人暮らしを始めている。俺は都会でしか生活できないと言っていた兄が、娯楽も何もない退屈な田舎町でこの先暮らしていけるのか?
はまだわからない。でも2人の姉はその姿を遠くから見て「しょうがないな」と言いながらも、どこかほっとした様子なのだ。やっと背負っていた重たい荷物を下せる時が来たと言うかのように。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?