あなたに会うために生きたと信じたい

その夢のなかでは、僕はまだ12歳くらいの少年で、永遠に終わらない夏休みの昼下がりを過ごしていました。夜も朝もこないその世界で、僕はたった一人の住人だったのです。

何の前触れなく、あなたはそこに居ました。淡い空色のワンピースと麦わら帽子、強い日差しでも侵されない白い肌の、少し年上のお姉さん。ひとしきりその姿に引き込まれたあと、名前も聞かずに僕は、あなたの手を引いてぎこちなく世界を案内をしました。(世界といっても、僕の生まれ育った町しか存在しません)それから僕たち二人は、終わることのない夢の世界で、田園風景や住宅地を散歩をしたり、川で釣りをしたり、家で本を読んだり昼寝をしたり、二人だけの時間を過ごしました。

どれだけ時間が経ったでしょう、僕がいつものように釣竿の準備をしているときでした。そのそばで腰を落とし、虚空を眺めていたあなた(たまにこうする癖がありましたね)ふと目を瞑り、囀るように言うのでした。

「雪が見てみたい」

僕は、その言葉に気を留めない”ふり”をして、作業を続けました。その実、僕にはその言葉が恐ろしかったのです。胸が痛くなり、心のざわめきが止まらず、風に揺られる木の音が聞こえなくなりました。その恐ろしさを認めたくなくて、僕は何も言わずに作業に集中しました。

そして気がつくと、蒸し暑い夏の夜に僕はいました。

心臓の動悸が止まらず、汗が全身から吹き上げてきて、うまく呼吸ができません。

あなたはどこにも居ない。

この夢の世界に、僕はまた一人になりました。

夢から醒めたそのときに一番悲しかったことは、涙が出なかったことです。喪った感覚だけが残り、あなたの姿がうまく思い出せずにいたのです。あなたの後ろ姿、笑った顔、どんな声で喋るのかも、全部。あなたが、確かに存在していたという証明が、どこにもない。

どうしてあなたは、僕の前からいなくなってしまったのか。そのときの僕にはわかりませんでした。

今なら、何となくわかる気がします。

この物質世界の毒に侵されながらも、生きる決断をしたあなたは、僕と夢の世界で出会い、何のために出て行ったのか、多分忘れていると思います。

それでも僕は信じていました。きっとあなたがこの世界のどこかで、雪を見るために生きていることを。

あなたの微かな残り香を胸に抱き、僕も物質世界を漕ぎ進みました。

そして、十年の月日が経ちます。

まだ梅雨の開けない初夏の朝、キャリーバックの荷を確認するあなた。僕はさっきまで眠かったことを忘れ、あなたにゆっくりと歩み寄って、初めての挨拶をします。

「ずっとあなたを待っていました」

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