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うるせえな 負けねえぞ 明日はどっちだ(情報社会への憂いと愛)

わたしのすきな人の傾向で「口げんかがつよい」というのがある。

その人とケンカがしたいわけではなくて(できれば誰ともしたくない)、口げんかがつよい人というのは、相手の言っていることを把握するのが上手なのだ。

その力で、相手の話を逆手にとったり穴を指摘したりする使い方をすると、つよいということだと思う。

わたしは「言ってる意味がわからない」「むずかしく考えすぎなんじゃないの」などと言われると悲しい気持ちになるので(伝える力が足りないのもある)、すんなり把握してくれる人がすきなのだと思う。


で、だ。

最近の若いひと(このことばイヤだけど、ザックリした意味で若いひとのこと)たちは、とても口げんかがよわいように見える。

もちろん人によるだろうけれど、なんていうか、就活中の子も、おしゃれして街にいる子も、スタバでおしゃべりしている子も、みんなどこか防御モードというか逃げ腰スタイルというか、よわそうに見える。


世代や環境がちがうので、ほっとけや、と言われればそれまでなのだけど、自分のこどもの将来にもつながることなので、ちょっと考えてみた。


わたしの子育てスタートが、若干まわりのひとより早かったので、今ちょうど子育て真っ最中のひとたちの話を聞いたり、記事を読んだりして思うことがある。

今は、インターネットのなかをのぞくと、あらゆるパターン、あらゆる意見を見ることができる。

12年前、わたしが青いスケルトンのiMacで見ていたのは、せいぜいgooベビーとかベネッセパークとか発言小町とか(2ちゃんねるは精神衛生上よくないと察知して見なかった)いわゆる掲示板くらいだった。

もちろん他にもあったのだろうけど、向こうから情報がやってくる手段がなかったので、知らなければ知らないままでいられた。


その当時の目線にもどって、今あふれている育児情報をながめたら、

「う る さーーーーーーーーーーーーい!!!」


と叫んだ。


その記事が伝えることが何だろうと、うるさい。

「夫婦共働きで子育て、つらいよね」記事には「こっちはひとりじゃい!うるさい!!」と思ったし、

「くらしを楽しんでいこうね」記事には「お金がないとできないんじゃ!うるさい!!」と思った。

でもこれ、見なければ、そんなに劣等感はうまれないのだ。

実際、わたしは当時かなり社会的弱者だったけど、そんなにやさぐれずにすんでいたし、

自分のできることだけ考えて、自分の分だけ心配して、自分のすることを決めればよかった。

あの時のわたしに、この情報量がなくてよかった!とあらためて思った。


今の若いひとたちは、その中で成長しているのだから、

「なりたい自分」「理想のくらし」「あこがれの仕事」を見すぎて、

かなわない、と、はじめから負けてしまっているのではないか。

自分の意見なのか、どこかで読んだお気に入りの意見なのか、わからなくなってしまっているのではないか。

わたしなら、そうなっちゃう。

自分のひとりぶんの容量が把握できずに、あれこれありすぎて選べず、時間が経つことがこわくなると思う。

口げんかがよわそうに見えるのは、マンツーマンじゃなくて、いつも「ひとり対 世間」「ひとり対 情報」だから、相手のひとり分の情報をうまくつかめないからかもしれない。


「あのころはヨカッタ」と言いたいわけではない。
もちろん今は今で、12年前よりいいことが山ほどある。

だけど、情報量に対して、「自分ひとり分」の人生の時間、選べる量のバランスをとるのが、とてもむずかしいのだと思う。

ではどうしたらいいかというと、むずかしいし答えはでないけれど、

ひとつだけ言うとしたら、


ググるな、自分で考えろ。




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