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子育て話の向こう側と、育児戦隊には変身できないという話。

子育てのはなしをするとき、その軸が、仕事(ミッション)の話をしているひと、家族の話をしているひと、社会の話をしているひと、じぶんの話をしているひと、などがいて、同じ子育ての話をしているようで、まったくちがう話をしていることがある。


またその中でも、話(グチ)を聞いてほしいひと、背中を押してほしいひと、答えがほしいひと、共感してほしいひと、いろいろな考えを聞きたいひと、など目的も様々だ。


これは子育ての話に限らないけれど、「子育て」というテーマが明確にあるだけに、ついうっかりおなじ話をしているつもりになってしまい、すれちがったりわかりあえなくて、なんだか残念なことになってしまうのだと思う。

これはどちらかが悪いということではなく、お互いさまなのだけれど、せめてじぶんがなんの話をしているのかは把握しておこうと思う。


わたしが子育てについて話すとき、その相手がよく知っている友達であれば、目の前のそのひとがどういう状況で、どう感じているかを聞いたり、困ったことがあればいっしょに解決したりするのだろうと思う。わたしもまた、じぶんのことを知っているひとに対して、じぶんの経験や考えを話す。

要するに、「わたしとあなた」のマンツーマンの話だ。たまたま子育ての切り口で話しているだけで、知りたいのは目の前のそのひとのことだ。悩みもグチも、その人らしければ「バカだねえ しょうがないねえ」と笑い飛ばせるし、アイデアがあれば「こうしたらいいんじゃない?」と話すだろうと思う。


しかし、子育てについて、社会の話になるとき、一般論になるとき、わたしはパタリと何も言えなくなる。

もちろん、子育てしやすい社会になったほうがいいと思っているし、みんなそれぞれの思いを抱えていることもわかる。つらいひとが減ったらいいと願うし、いい方法があれば実現させたいと願う。

多様性を考慮して、批判がこわくて何も言えなくなるのではなく、誰かの顔が見えないとそれが「もしも話」になってしまうのだ。わたしは「もしも話」がとても苦手で(くだらない妄想はむしろすきだけど)、あたまのなかの考えが方向性を失い、迷子になってフリーズしてしまう。

自分でもバカだなと思うし、社会はもしもではないのもわかっているのだけれど、ダメだこりゃ と思い知った。

先日も、子育てと仕事の両立についてどう思うか問われ、「家庭環境も仕事内容もそれぞれだし、性格も人によるからわかんない」としか言えなかった。補足しようとして「お金があればつかえばいいし、なければ頭をつかえばいい」と付け足して、相手をさらにポカンとさせてしまった。


わたしは、「わたしはこうしたよ」「わたしはこう考えるよ」と、あくまでもじぶんの話しかできないのだ。自己チューだけどしかたがない。それを聞いた(読んだ)ひとが、それぞれに勝手な解釈をして、なにかヒントになったり、脱力してちょっと楽になったり、参考にしたりすればいいなと思う。



これで終わると、それこそ「おまえの話かよ」とあまりにも元も子もないので、最近よく思うことを書いておこうかな。


「子育て」というミッションを目の前にして、「母になる、父になる、親になる」ということをものすごい変化だと捉えるひとが多いように思うけれど、親になろうと叔父になろうと祖母になろうと、自分がなにか別なものに変わるわけではない。

普段からしていないことが、子育てにおいてだけできるようにはならないし、子育てをするからといってある日とつぜん性格が変わることはない。


親になるから変わらなければいけないと、真面目なひとほど考えてしまうかもしれないけれど、どれだけ必要でも1日が24時間以上増えないのと同じくらい、じぶんの能力や性格はかわらない。育児戦隊オヤレンジャーには変身できない。

だけど、24時間の使いかたはひとによって自由に変えられる。頭をつかって考えれば、そうすると決めれば、変えられる。じぶんの能力や性格も、無理して変えようとしないで、どう使うかを本気で考えて決めたらいいと思う。


わたしは13年間シングルマザーなので、はじめのうちは、わたしひとりで父と母のふたりぶんの役割ができなければいけないと思ったけれど、どうあがいてもひとりぶん以上はできないのだ。

早いうちにあきらめて、じぶんひとりでは足りないという前提で、ひとりでふたり分のことをしようと努力しないで、自分がなにができてなにができないかを知って、それではできないことをどうしたらできるか と、常に考え続けてきた。

ありのままでいれば誰かが助けてくれるとは思わない。ありのままでしかいられないのなら、せめて頭をつかわなければと思っている。

ひとに頼る、お金に頼る、睡眠をけずる、スピードをあげる、などその都度いろいろな選択肢があるけれど、その考える行程をとばして、なにも考えずに「じぶんを削る」という選択をし続けるのは、親子ともにしあわせではないと思う。


わたしは、社会についてはなにも言えないけれど、みんなが笑っていられたらいいと心から願っている。


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