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「考えるってどうやるんですか?」と聞かれて考えた。


「サクちゃんはよく“考えて決める”っていうけど、どうやって考えてるんですか?」と聞かれた。

昨日、友人と話していて少しだけわかったことがあるので、書いておこうと思う。


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「どうしたらいいかわからない」というとき、そこには漠然とした不安がある。見えない敵はサイズも正体もわからないから怖い

だから、その見えない敵=漠然とした不安 を、見える敵=具体的な課題 にする。

そのために、不安にまとわりつく事実や感情や欲をなるべく細かく分解していく。


「〜したいけど○○だからできない」という状態のとき、そのままだと「できない」が答えになってしまうのだけど、「〜したい」と「○○できない」の、それぞれの解像度を上げていく

たとえば「好きなことを仕事にしたいけど、収入が不安だからできない」というとき、「好きなことを仕事にする」と「収入が不安」を分けて、

「好きなことを仕事にする」というのは、好きなことって具体的に何をすること?どこですること?誰とすること?どんな頻度で?どんな規模で?何を目標に?今それをできているのはどんな人?と細部に渡り自分にインタビューをしていく。

「収入が不安」というのは、月収がいくらあるとギリギリ困らずに足りるのか?いくらあると安心するのか?なくて困るのはなぜ?この先いくらになるとうれしいのか?そのためには作業の単価から計算すると時間がどれくらいかかるのか?技術が足りないのではないか?と、これもまた細部に渡り知る必要がある。

止まってしまい答えられない、鮮明に見えてこないところは「観察や考えが足りない部分」なので、それを取り出してさらに自分に問いかける。


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コツコツとこの作業をしているとき、これはデッサンやスケッチに似ているなと思った。

荒い絵に、よく観察して光や影をつけていく。りんごは丸いと決めつけて丸く書いているだけだはないか?赤いと思い込んでいるけど本当に赤いか?もっとよく見て、思い込みを捨てて、見えた通りに書き込んでみて。この余白には何がある?この歪みにはなんの力がはたらいている?


ぼんやり見て頭の中の思い込みだけで描いた絵は、本物とかけ離れたぼんやりした絵になるけど、同じものも、よく観察して、見えてきたものをそのまま描くことができると、見えているものと描いたものが近づいていく。

目に見えているものと自分の手で描いたものが近くなっていくことは、思っていること(欲)と行動が近くなっていくのと同じだ。


デッサンやスケッチにはもちろん技術が必要だけど、1回目から上手に描くことが目的ではなくて、「見ているものと自分の手から出るものを近づける」という訓練だと思ってとにかく数をこなすしかないのだと思う。

同じように、考えることも繰り返しくりかえしやってみるしかない。まちがえても、考えが追いつかなくてしっくりこなくても、回数が必要だと思う。


ひとつの鉛筆でもいろんな使い方を試してみながら表現の方法を知っていくように、思っていることとぴったりの言葉をみつけていく。言葉がみつかって、そこから行動までがくっきりと見えてくる経験は本当に気持ちがいい。

編集者の見城徹さんが「言葉を獲得することは、生きることと同じ」と言っていたのは、このようにしつこくしつこくデッサンをくりかえし、やっと自分の見えているものと同じものを自分の手で描けた瞬間のことを言っているのかな、と勝手ながらそう思う。


考えるのってどうやってやるんですか?という質問へのお返事は、

「考えるとは、デッサンみたいに細かく観察していく作業と、見えたものを自分から出す(言語化)する作業の両方をすること」

というのが、今のところわたしに言えることだ。

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