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日本二百名山「霞沢岳」

日本二百名山とは、深田久弥のファン組織「深田クラブ」によって、クラブ創立10周年を記念して1984年に選定された日本の代表的な200の山です。深田久弥が選んだ日本百名山に100を加えたのもとなっています。

加えられた100座のうち20座に登っており、これまでに日本百名山関連や九州百名山などで投稿していない6座を投稿します。

今回は霞沢岳です。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』では次のように紹介されています。
霞沢岳(かすみざわだけ)は、飛騨山脈(北アルプス)南部に位置する標高は2,646 m。山体すべてが長野県松本市に属する。
中部山岳国立公園内の常念山脈の最南端に位置する。アルピコ交通上高地線新島々駅の西北西16.7 kmに位置する。山頂部には三本槍と呼ばれる岩峰がある。北側の上高地には梓川が流れ、山の西から回り込み南側を流れる。その南側の梓川沿いには国道158号が通っている。山名は南東側の梓川の支流霞沢の源流の山であることに由来する。山体は砂岩花崗岩安山岩角礫岩など複雑な構成となっている。山頂の南5.7 kmには1928年に完成した東京電力の霞沢発電所があり、上流の梓川から霞沢岳の南西山腹を貫く水路のトンネルが造られ有効落差454 mでの発電を行っている。日本二百名山に選定されている。
上高地では、穂高連峰に対峙した背後の山であり、登山道は徳本峠(とくごうとうげ)からの道しかなく、縦走路から外れるため、訪れる人もあまり多くない。しかしながら、この山から見る穂高連峰や笠ヶ岳の展望は特筆に価し、ガイドブックや登山地図などでよく紹介される。

No170冬山合宿西穂高岳・霞沢岳

昭和49年12月28日∼1月4日 3名
28日佐世保16:26⇒特急さくら
29日名古屋乗換しなの⇒松本⇒タクシー沢渡→15:40上高地に入りBC設置
30日BC→西穂高岳山荘前に幕営
31日西穂高岳往復
01日西穂高岳山荘前→BC
02日BC→霞沢岳(雪洞)
03日霞沢岳(雪洞)→BC→沢渡⇒タクシー松本
04日⇒大阪⇒特急かもめ18:50⇒佐世保

1日 昭和50年、あけましておめでとう。

霞沢岳に笠雲が掛っているが、天気は悪くない。太平洋岸の前線のためだろう。昨夜遅かったので起床は5時過ぎだった。荷は三人共少なくなっている。今日は上高地に下るだけ、大した行動ではない。ワカンを着け下山する。初めはルート近くを歩いていたが、下の方では直線的にルートを外して下った。時々、腰まで潜り起きるのに苦労する。
予備日を除いて二日間の行動日が余ったはずである。霞沢岳に行くことにして、テントに入る前に偵察に行く。大正池の方に下ったがそれらしきものはなく、再び戻り横断幕を潜り帝国ホテルの方に行く。昨日霞沢岳をアタックしているパーティーがいることはトランシーバーで分かっていたが、木村小屋付近からはアタックしていないようでトレースはなかった。

まあ、樹林帯を通り正面に見える尾根に取り付けば良いだろうと思いテントに戻る。最初の夜は雪洞に泊まり、頂上に辿りつかなかったらその時点で雪洞を掘り、次の日は下山する。明日の行動も決まり、酒もなくなったのでシュラフに入る。

2日アタック

4時起床。Yの申し出により彼は停滞となった。
6時出発、取付きは木村小屋から直ぐ出て河童橋の道との合流を真っ直ぐ横切って尾根に取り付くことにする。
まだ、明けていないがライトは不用である。
ワカンは道から着けて樹林帯を進む。時々深く潜るが大したこともなく登っていると、次第に沢を登るようになった。
尾根に取り付こうと思いながらも、側壁は岩壁となっており仕方なく沢を登る。ワカンの埋まり方も段々深くなってきた。尾根の取付きを探してはいたが、その見込みが無くなったので沢を詰めると決めた。
雪崩は心配ないと思いながらもやはり気になる。
はやる気持ちとは反対に、足の方はなかなか伸びない。ラッセルを交代しながら進む。
上部では所々クラストして、ワカンが利かない所もあり緊張する。もう稜線は直ぐである。六百山方面の稜線を10名程のパーティーが霞沢岳に向かっている。こちらを見ている者もいるようだ。いよいよ稜線と思いながらも5歩登っては休み休みで傾斜もきつくなかなか届かない。12時少し前、やっと稜線に着いた。
バテる寸前であった。ヤッケを着込んで行動食を口にする。やっと景色に目を向ける。素晴らしい展望。西穂の縦走路も奥穂、前穂、常念それに八ケ岳、南は乗鞍、御嶽山まで確認できた。

いくらか落ち着いた。アイゼンに履き替え霞沢岳に向かう。
アイゼンが気持ち良く軋む。風はそうないが、ヤッケは着ていた方がいい。途中、沢から見たパーティーが霞沢より引き返しており出合う。ザックを持たないメンバーも半分はいたようだ。霞沢岳には20~30分で到着する。
ピークとしては平坦頂で山頂らしくないが、やったと言う気持ちである。
一人づつ八ミリを撮りあい、直ぐビバーク地点を探す。
50m程南に吹き溜まりがあり、ここに雪洞を作ることにする。
天気も良く、雪洞作りも楽であった。2時間ほどで作り上げた。
一度入口を大きく掘って、後で半分ほどブロックを築く方法でやった。
風も強くなってきたので、直ぐ雪洞に入って食事にする。
5時過ぎにはシュラフに入る。

3日下山。当時26歳、今考えると無謀だったか?

ダンマット、ツエルト等を下に敷いていたので快適な夜であった。
5時に起床する。
いくらか息苦しい。Mは感じないらしいが、私は少し動くと息苦しさを感じた。ローソクに火をつけても点かない。ラジュースのメタにも。直ぐピント来なかったが、多分酸欠と思い入口にしていたシートを取ると完全に塞がっている。
ピッケルでやっとのこと入口を掘ると、ローソクに火が点いた。
空気が入ってくるのが判る。安心する。吹き溜まりが元の形に戻ったのである。食事をして出発するまでかなり時間が掛かった。
下山コースは、大分迷ったが一応登路を引き返そうと決める。
今日は風も強く、西穂稜線は吹雪いている。雄大な積雲の堤が目前である。稜線に出た途端に強烈な風、目出帽を下までおろす。手足が痛む。
下降点に着く。風も一段と強くなった。
昨夜、降雪はなかったようでここから下降することにした。
風板状態となっている。下るたびに雪板が流れる所もあった。
昨日より雪崩の危険性が高まっている。下っては上部を確認する。気休めかもしれないが。どんどん下る。
昨日のトレースはもうなくなっていた。走るように下る。
雪が流れ、じーっと見守る。止まったので、再び下り始める。
随分、下まできたので2回尻制動をした。沢がいくらか広くなってきた。
もう終わりが近くなり、雪崩の危険から解放されたようで気が楽になった。
もうトレースも出てきて楽な下りとなった。
登り6時間かかったが下りは1時間半で済んだ。
充実した二日間で、西穂で感じなかった冬山を感じながらテントに戻ったのは10時近くであった。

Yも気になっていたらしく、出迎えてくれた。
紅茶、ミルク、桃缶、残りの食糧を腹に入れ一段落した。
もう終わった。
下山の準備にかかり、12時上高地を後にする。
雪がさかんに降りしきり、山は吹雪である。
この吹雪は、暫く続くだろう。
沢渡に着くとタクシーは待っていたので、直ぐ乗り込み山を後にした。 
写真は見当たらずネットより借用しました。

拝読いただきありがとうございます。
次回は、岡山県上蒜山を投稿予定です。

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